雑談の効用?

何のことやら。呟いたことを基にメモ。

 

職場での雑談とかはいらない、というような(うろ覚えだが)呟きに接して思いついたことをメモしてみる。例によって、こちらの現時点での体感に基づくものでしかないので、異論などがあり得るのは言うまでもない。

 

実際にするかどうかはさておき、企業内で働いていて、職場で雑談*1を出来る関係性が社内の誰とも作れないのは働きづらいのではないかと感じる。他人と話してみることで、ストレスが和らいだり*2、自分の思い込みに気づくとか、思いもよらない形での助力が得られたりとか、いろいろ効用がありうるというのが話す側にとっての利点というところだろうか。

 

他方で、話をするというのは自分一人ではできず、話し相手が必要となる。そうした相手となることに何らかの利点*3はあるのだろうか。


雑談の相手となるという関係性があるから入る情報があったり、入るべき情報であってもより早く入ることもあるので、相応の利点があるというのが個人的な経験則。特に不都合な情報の入手の際にそうした利点が効果を発揮することが多いような気がしており、企業内法務のようにリスクに関する部署の人間にとっては利点はあるのではないかと感じる。雑談ができる程度に心理的障壁が下がっているということがそうした利点を生じさせているものというところか*4。雑談に付き合ってばかりだと仕事に支障が出ることもあるかもしれないが、雑談を通じて心理的障壁か下がらないと引き出しにくい話があるのも否定できないと感じる。この辺りは内部通報への対応の中でヒアリングをしていく際にも時として意味を持ったりすることもあるように思う。

 

そういうことを考えると、程度問題はあっても*5、職場で雑談をすることは悪いことばかりではないと感じる。

*1:ここでいう雑談の中には単なる愚痴が相応に混じることもあろう。

*2:リモート環境下で自宅に閉じこもっていると煮詰まるので、意図的に雑談をネット経由でするというような話もコロナ禍最盛期の頃に接したが、この辺りの重要性を物語るものと言えるのだろう。

*3:メリットというのはなんとなく打算の臭いが強すぎると思うので避けておく。

*4:機密管理のうえで別異の考慮が必要なことは言うまでもない。ただ、そういう場合でも機密を抱え続けることに対する心理的負荷への配慮は別途必要になるものと考える。

*5:かつて休日出勤したときに2時間雑談に付き合う羽目になり、結局予定していた仕事ができずに帰宅する結果となったことがあったが、そういうのはさすがにやりすぎということになるのだろう。