某件についての若干の感想

何のことやら。呟いたことを基にした雑駁で益体もないメモ。一インハウスの感想ということで。こちらの体感に基づくものなので、異論などがあり得るのはいうまでもない。

 

以前もメモをしたが、修習生の方が、修習内容をリアルタイムに近い形で呟き、その内容を「楽しい」と評したことについて、一部の法曹の方々が苦言を呈したところ、呟いたご本人他が反論などされているのを見たので、思ったことをメモしておく。

 

当の修習生の方々(及びその意見に同調される修習生の方々)について、ああしろこうしろという積りはない。しかしながら、いわゆるインフォームド・コンセントではないが、次の諸点は理解をしておいても損はないと思う。理解したうえで自己責任で対応をするのが良いのではないかと感じる。

 

修習というのはかなり特殊な場で、本来であれば、いてはならないはずのところに、修習生として陪席などさせてもらっているということがあるし、本来であればできないことをさせてもらうこともある。前者の例で分かりやすい例は、刑事の裁判員裁判での評議の場にいるとかであり、後者で分かりやすい例が検察修習で取調べをするとかが、分想定可能だろう。それは、将来の法曹育成の観点から、本来その場にいるべき人の理解(消極的なものも含め)を得たうえで、特別な配慮として行われているものとみるべきだろう。実務法曹となった時に役立つと思われるから、そうした配慮が払われるのであり、それは法曹界全体にとって有益なことといえるのだろう。

 

しかしながら、特別な配慮であるが故の危うさをはらんでいて、だからこそ、研修所や裁判所などは修習生の言動に神経質にならざるを得ない。特に気軽に呟け、かつ、人目につきやすいSNS上での呟きなどについては警戒の対象となるだろう。有益なはずのプログラムが修習生の軽率な行為で実施不能になれば、次代以降の修習生にとっては不利益になるし、そのことは将来の法曹育成にとっても不利益になると考えられる。そして、徒弟制度的な色合いの濃く、業界全体で次代の担い手を育てる気風のあるところでは、そうした行為は、有益な育成期間である修習の有益性を毀損しかねない行為として、業界関係者からの非難の対象となったとしてもそれほど不思議な話ではないように思う。この点は理解しておいて損はないのではないかと感じる。

 

それと、一連の呟きの中で、「通常の読解力を持つ一般人が、バイアスを廃して虚心坦懐に読」むということを仮定しているかのような呟きもみられたが、そうした仮定をおくのはそもそも危ういように思う。呟きなどのテキストの読み方は、読み手の自由であり、「誤読」の自由が保障されていることは理解しておくべきことなのではないか。特に法曹になろうとするのであれば、「誤解」や「曲解」がなされる可能性を踏まえて、どう対応するか助言することが求められることもあるから、前記のような呟きは、そうした点に対する理解の低さや、自身の言動に対するリスク感度が低いものと受け取ることが可能だろう。

 

こうした理解やリスク感度は、個人的には、あとからの学習がまったく、不可能とまでは言い切れないものの、もともとのセンスが大きいと感じる。そう考えると、前記のような呟きは、そういうセンスがない、ということを、就職活動中の修習生が公言していると受け取られかねないし、かつそのことに自分が気づいていないということを示しているという見方も可能だろう。そういう人と仕事するのはそれ自体リスク要因と見られれば、一緒に仕事するのは避けようと思っても不思議ではないことは理解した方が良い*1。こうした見方をされた結果として、当人が思っている以上に高く付く結果になる可能性もあるだろう。

 

もちろん、それでもなお、「愚行」*2をする権利はある。それを止める気はこちらにはない。ただ、上記のような見方があり得ることは、理解をしたうえでした方が良いのではないかと感じる。

*1:僕自身が部下の採用でこういう求職者にあたったら、他に同等の候補者がいたら避けるだろう。

*2:愚行と評して良いのということ自体、考え方によるところがあるのは言うまでもない。