その行動の意味は

複数の事例を見て感じたことをメモ*1

 

既存の法律に基づく行動を起こす場合、そうした行動を起こす場合に、前提となっている条件が何で、それをどのように充足するか、そして、個別具体的な状況下で、条件充足が可能なのか、ということはまず検討する必要があるように思う。何らかの事情で条件具備が、短期的に不可能であれば、そもそもそうした行動は起こせないということになるし、それにも拘わらず当該行動を求めるのは、要するに「無理ゲー」になってしまう。そして、仮に、条件充足が可能であるかのことく見えたとしても、その検討の際に、その行動が、その行動を取り巻く文脈の中で、その文脈の中にいる人にとって、どういう意味合いをもたらすか、ということを踏まえた検討になっているのか、ということは考える必要があると感じる。

 

大きな組織(官庁であれ私企業であれ)であれば、内部統制の観点からも、一定の手続にのっとった行動が必要となり、費用の支出を伴う場合には、事前に予算が確保されていない限りは、予算確保から支出までの一連の手続が必要となる。それには時間もかかる。そうした手続きを取ることが、組織内外の関係先にどういう意味を持って受け取られるか、特に法的な行動については、素人目には、法曹が考えるよりも、重い意味を持ち、そうした重い意味のある行動がどう受け取られるかも、あわせて考えないといけないと思う。組織内にいる法曹であれば、こうした点を意識しなければならない状況が生じうるのは確かだろう。所謂街弁の先生方であっても、こうした組織を相手にする場合には、こうしたところを理解しておく(理解したうえでどうするかは別論として)ことは有用だろう。

 

さらに、立法により何らかの課題を解決しようとする場合には、定立しようとする規範に反したものへの制裁や、規範に反した行為により被害を受けた者に対する救済をどのように行うのか、その方法を、制裁行為まで含めて完了したときに、解決しようとした課題が解決できているのか、被害を受けた者が救済されたことになるのか、自分の目線から見て、この両者が充足しているとしても、被害を受けた者の目線から見ても同じ結論になるか、というあたりの検討は必要なのではないかと感じる。

 

要するに、行動を起こすときには、その行動の受け取られ方、その行動のもたらす帰結の適否などを十分に考えないと、特に、重みのある話では、ロクな結果にならないのではないかというところになろう。

*1:特定の事例についてあげつらう意図ではないので、個別の話には言及しない。処世術の一環として敢えて抽象度を上げた物言いをしてみる次第。