本日の脊髄反射:言うほど簡単な話?

何のことやら。呟いたことを基にメモしてみる。例によってこちらの体感に基づくもので異論などがあり得るのは言うまでもない。

 

大要、日本企業の訴訟*1嫌いの姿勢が却って交渉などで不利になっているのではないか、それは訴訟になったときの帰趨の見極めができる人員が経営層にいないからではないか、だからこそ企業にCLO(Chief Legal Officer)を設けるべきだ、というような勇ましく見える言説に接した*2

 

企業外の方々がそういうのに接しても、「中の人」であるこちらとしては、直ちに賛成したがいものを感じる*3

 

対外的な権利主張が弱いと、外部に付け込まれてビジネス上不利になる可能性があるという指摘それ自体は、それほど分かりにくいものではない。この点有利不利が一番わかりやすいのはおそらく知財で、だからこそ、知財は訴訟などがしやすいのではないかと感じる。他方で、それ以外の分野は有利・不利がそれほど分かりやすくないような気がする。そういう意味で、知財とそれ以外は分けて考えた方が良いのかもしれない。

 

姿勢としての訴訟ではなく*4、実際に訴訟をするとなると、外部弁護士のコスト*5や事実関係の調査・資料収集のための内部コストもかかる。訴訟の維持管理コストもある*6。このコストはそれほど軽くない。訴訟となると、そうしたコスト負担が不可避的に生じる時点である意味で「負け」という見方はあり得て、そこから訴訟を避けようとする心理が働くのは否めないのではないか。

 

また、それらとは別に、相手先との関係がおかしくなることも想定できる。相手方の心理的なものなので*7、自分たちではコントロールしきれない。代替先のない重要なサプライヤーに対して訴訟を起こして、勝訴しても、今後製品の供給を受けられなくなれば、訴訟の勝ち負け以上の問題となる。その種のしがらみが訴訟回避の方向に作用するのはある意味で当然だろう*8

 

こうしたしがらみも含めたコストを考えても、なお訴訟で争うべき時というのがどの程度あるのか、と考えると、そこまで多いのかという気もする。費用対効果を厳しく見るということになるのだろうか。この辺はこちらがB2Bのメーカーにいるからそう感じるのかもしれない。

 

最終的に訴訟になることが想定されるからこそ、自社の権利主張に説得力があるということは理解できるとしても、そのことは、訴訟自体に踏み切る際の諸々のハードルを低くすることにはつながらないと感じる。必要性と許容性で考えれば、冒頭に述べたような議論は訴訟の必要性を説くものだけど、訴訟の許容性(阻害要因の除去かもしれないが)に対しては何ら資するものではなく、だからこそ訴訟に踏み切らないという結果になるような気がしている。権利主張の方法として訴訟以外の方法だって想定可能と考えると*9、余計にそう思う。

*1:仲裁も含めても同じだろうと感じる。以下同じ。

*2:発言者のポジショントーク的なにおいも感じ取れた点が警戒感を高めたことは言うまでもない。それと、仮にCLOなる役職をもうけたとしても、実権が伴わない「お飾り」にすぎない状態ならば、結局企業の意思決定に影響は生じないということになろう。ポジションの問題ではない気がする。

*3:企業外の方々のうち、訴訟弁護士の先生方がこう述べられるのに接すると(以下略)。

*4:そういう姿勢を示すことそれ自体の重要性を否定するものではない。ただし、そうした行為が自社内で常に積極的に捉えられるとは限らないのも事実ではないか。

*5:米系のやり方だとこれだけでシャレにならない金額がかかる。

*6:総会での想定問答対応とかがここに含まれるだろう。

*7:担当者レベルでは問題なくても経営層の逆鱗にふれて...ということもあり得る。

*8:個人的には、訴訟になった時には、相手との関係でどこまで争える相手なのかは確認するようにしている。その場合、特定の事業部のその点に関する判断が全社レベルでのそれと等価ではないことも、想定する必要がある。

*9:相対での交渉やレターのやり取りということもあり得ると考える。