何歩か引いてみると

例によって、呟いたことを基に思い付きをメモ。思いついた時に書いて置かないとこういうのは忘れるので(汗)。前に書いたことの変奏曲という側面があることはご留意いただければと。

 

契約書を事業部門の人が読まないという、企業内法務の方の呟きに接した。これについては、契約書は裁判規範として機能すれば良いものだから、その点をあまり気にする必要はないと読める指摘にも接したことが有る。

 

こちらの経験からすれば、契約書には当事者間の行動規範という側面もあるから、契約書に化体しているビジネスを実行する事業部門がその内容を把握していなくて、当該契約に違反せずに行動できることを担保できるのか、内容把握のためには、内容を読まなくてよいのか、と企業内法務の担当者が問題意識を持つことはあり得ると思う。企業内法務の視点からすれば、訴訟等になった時点で「負け」という側面もあるので、訴訟等にならないことを第一義的に考える必要があることからすれば、そのような問題意識はあってしかるべきだろう。

 

以上に加えて、さらにいくつかのことを考えてみる。

 

そもそも、訴訟に訴えることそれ自体に、内部的なコスト(弁護士費用とか、内外への報告の手間(開示を含む))とは別に、外部的な負のコストが生じる可能性があることも留意すべきと考える。取引相手との裁判に勝っても、その相手から取引停止にされてしまってビジネスを失うようなものはその典型かもしれない。この点は、通常のビジネスと訴訟になった案件とを、感情的な面(特に企業上層部のそれ)も含めて切り分けて対応できる相手かというところ次第なのだが、その見極めが容易とは限らない。慎重な判断を要する場合もあることには留意が必要だろう。

 

また、それとは別に、継続的な取引関係において生じるような、企業間における長いタームでのある種の「ゲーム」では、法的側面も全体像からすればその一要素でしかないし、裁判なども所詮はその中の一つのコマでしかないということも時として生じ得る*1。膠着した交渉を動かすために、訴訟を提起するということもその一例だろう。そういう、何歩か引いた視点での案件の見立てを踏まえておかないと対応の方向性を誤ることも生じるような気がする。

*1:この点は当該訴訟の対応を外部の弁護士さんに依頼する場合に、企業内法務の立場では留意が必要なところだろう。外部の弁護士には理解し易いところではないし、その点を踏まえないと、外部弁護士の判断が、その状況下で適切なものから乖離する可能性も生じ得る。