最近の何だか(2022/4/28)

連休を前にして呟いたことを基にメモ。

 

  • 商事法務を少年ジャンプのようにワクワクして読める云々という言い回しに接したが、残念ながらちょっとそういう感じではない。会社法周りはそれほど得意でもないからだろうが。
  • 喋り方については、気が付くと早口になりがち。研修とかの時には特によろしくないので、気を付けないと。
  • 現状が25点のところ、改善をしようとして本を見ていると、最初から100点を目指せ、それ以外の選択肢はない、みたいなことが書いてあるのを見てげんなりした。「ご立派」で「意識高い」ことを求める相手先のご意向に沿うように見せつつ、現状の資源の中で出来る範囲の施策に留めるようにする、ある種の「面従腹背」的な対応が求められていると考えるし、そういう需要はあると思うのだが、その種の対応について記載した本が見当たらないのは何だか色んな意味で問題な気がする。書き手も編集者もその辺の需要が読めてないのか、意識高い系の「洗脳」に独されているのか、何だか不安を覚える*1
  • ガバナンス系とかSDGsとかあのあたりの施策になると、途端に費用対効果を無視した議論が横行する感があり、どういうことなんだろうと思う。費用対効果*2が求められないはずはないと思うのだが。
  • 士業の方が**(特定の役務)を使わないのは莫迦、みたいな言説に接したが、当該役務を使わない人の事情に対する想像力の欠如を自白しているように見える。その程度の想像力で士業として大丈夫なのかと思う*3。自分の想像力の限界を認識できていないというのは、それ自体法律系の仕事をする上では、マイナスだと思うのだが。
  • どう転んでも仕事は仕事でしかないので、弁護士だろうと何だろうと、身体や心を害してまでする価値はない。気合とか根性とかそういうもので何とかなる範囲は有限だろうから、無理なものは無理と早めに「騒ぐ」ことが肝要だろう。
  • 法律の知識とビジネスの知識と両方いるところで、前者を有しているとされる人間に後者を教えるのと、後者を有しているとされる人間に前者を教えるのとで、コストが劇的に違えば、安い方に行くのはある意味で必然と感じる。法律の知識も司法試験合格レベルまで要らなければなおのこと。変な理屈つけて無理矢理高給でとっても、それに見合う成果が出るとは限らないし、出なかったときには反動が出るから、無理するのがいいとも思わない*4。こういうことを書くと、じゃあお前はなんで司法試験合格までやったのかと訊かれそうだけど、法務の責任者をするということは、自分の価値の評価者がこのあたりのニュアンスを踏まえられない「素人」である危険があるので、そこへの対応ということ。どこかの時点では部署の責任者をやってみたかったので。
  • こちらも英語ができるというほどではない。外資に5年ちょっといたけど、それでも出来ると胸を張れるほどではない*5外資といっても、英語を使う頻度の問題も色々あるわけで。逆に、英語だけできてもね、という場合もあるわけで。外資はややもすると、リージョナルレベルでは、決定権がなくて、単なる高級ベビーシッターだったりすることもある。決定権の所在も、親会社側の胸先三寸で変わるので、今ある決定権がいつまで手元にあるのかも不明というのが外資のリスクと思われる。日本法人だとここから市場が縮小する中で、そのリスクは増えると思う(だから、今回の転職で外資の選考は受けなかった)。そういうあたりを考えると、英語の能力の活用という意味では被外資の方が適切という判断も十分あり得ると思う。

     

*1:暴排のときの議論が脳裏をよぎる

*2:なお、費用対効果を考えるときの費用と効果は、評価者の認識するそれであり、自分が評価者でないときは、それらについて自分と評価者とで認識が異なる場合があるわけで、そこも注意が必要な気がする。

*3:こちらは絶対に頼みたくないが

*4:そういえば、かなりインハウスを増強して、増強したご本人が片仮名系に行ってしまった某社はその後どうなっているのやら。

*5:GCが変わって、新しいGC(その時点では予定者だった。その後GCになった)が元litigatorで、アジア系の連中に話すのとアメリカ人同士で話すのとでスピードとか言葉遣いを劇的に変えているのを見て、納得する反面で、何だか凹んだのを覚えている。