10年経って

もうそんなに経つのか、と時の経過に驚いたニュースがあったので、若干のメモ。

 

news.yahoo.co.jp

暴力団の資金源根絶を目指す暴力団排除(暴排)条例が全都道府県で出そろって10年が過ぎ、当時7万人だった組員の数が約4万人減る一方、警察による元組員の就労支援は難航している。元組員の雇用に協力する企業数は3割減っており、働き口がなく生活資金を失った元組員が不法行為に手を染める懸念もある。専門家は「受け皿作りを社会全体で考えるべきだ」と指摘する。

 

これまでの職場でも暴排の覚書とか暴排条項とかは使っては来た。しかし、最近は感覚は麻痺している感があるものの、一定の違和感は残っている。結局排除したはいいけれど、排除された側をどうするのか、その問題に対して誰もきちんと答えを出さないままでいるから、行き場をなくした人たちが出て、そこから別の問題が生じる結果になっている。

 

10年くらい前にこの手の問題を扱った書籍を読んだときに書いた自分のエントリに目を通すと*1、結局この10年間思考停止したままで来たんだなということを感じる。他人事みたいに言えた義理ではないが。

もう一つは、排除の論理というか、結局排除された側だって、人権は保証されているし、その人達も生きていく必要はある(人権を否定して抹殺を始めない限りはそういうことになる)。そうなると、彼らを単に排除するだけでは、彼らが生きて行けないし、「更生」しようにもその道を排除の論理で閉ざしている以上、それもできない、となると、そういう人達がどこかに吹き溜まるのはある意味当然で、そのことに目をつぶって、自分の手が綺麗ならそれでよいのか、ということ。ここにあるある種の思考停止は、あちこちで見られるものの、正直どう対応して良いのか僕にはよくわからない。

こうした思考停止は昨今の「キャンセルカルチャー」と相通じるものがあるのではないかという気もする。とりあえずTL上でささやかに異議を述べることから始めるくらいしかないのかもしれない。

 

*1:今読み返すと、暴排条項で、「その手の方」と判明した従業員を解雇できるのかというところも気になる。雇い入れ時に「その手の方」でないと表明保証させたうえでその違反という立て付けにでもするのだろうか。それでも解雇できるのかどうかは良くわからない気がするけど。