誠実協議条項についての若干のメモ

先日誠実協議条項についての議論がTL上に出ていて、諸々興味深かったので、ちょっと考えてみたことを取り留めもなくメモしてみる。

誠実協議条項というと、例えばこんな感じの条項をいう。日本語の契約書だと最後の方に入っていることが多いように思う。

第**条(協議解決)
本契約書に定めのない事項、または本契約書の解釈について疑義が生じた場合には、甲乙誠意をもって 別途協議の上、これを解決する。

 

日本語で書いているようなものだと、協議の内容・方法に具体性に欠けているようにも見えることから、英語だと一切書かないか、何か書くのであれば、もっと明確に協議としてどういうプロセスを踏むのかを書いて、段階を踏んで最終的には紛争解決条項につなげることが多いように思われる。もちろん、そこの書き方が適切でないと問題が生じることがある。各段階に期限を切らない書き方になっていたせいで、誠実協議条項が妨訴抗弁として機能してしまう(まだ協議中なんだから、紛争解決手段を使うことはできないはずだ、というような主張)というのがその一例だろう。

 

話を上記のような事例に戻すと、この手の文言に意味があるのか、という疑義を呈されることがある。先にも書いたように、具体的な協議の内容・方法について記載がないから、どういう協議がなされるのか、不明だし、協議に一方が応じなかったときの制裁の規定もないから、その契約における債務不履行に関する文言または一般的な民法等の規定に基づく救済は想定されるが、救済を得るの手間がかかりそうで、実効性に疑問が残るから、実質的には違反に対する制裁がないようにも見える。それゆえにこの種の条項は不要なのではないかという疑問が呈されることが多いし*1、その種の指摘は理解できなくもない。

 

他方で、個人的にはそこまで割り切ってよいのか、疑問も残る。なので、個人としては、自分で日本語の契約書を作るときについては、この種の条項は一応入れるし、入っているドラフトを見るときもあえて削除まではしない。

 

まず疑問なのは、この種の条項がないと、協議が必要な時に、この種の条項が規定されていないことをもって何も協議に応じないという態度を相手が取る危険があるのではなかろうかということ。書いていなくても協議を持ち掛けることはできるはずだという物言いもこの種の議論の際には聞くけど、持ち掛けても、契約書に応じる義務の規定がない以上応じる義務はない、という反応も想定できると思うので、その種の事態への対応という意味では、この種の条項があっても協議に応じないような場合への制裁がなくても、一定の意味があるのではなかろうか。

この点に関連して、もともとのドラフトに誠実協議条項があったところで、それを削除して締結すると、その交渉過程から、協議をしないという合意をしたのだ、という主張も想定でき(英米法的な議論という気もするが)、そういうことも考えると、もともとこの種の条項が入っているときには削除に慎重になる必要があるのではなかろうかという気もする。

 

それと、契約書は誰のものか、というような議論にも関係するような気がするが*2、契約書を自社内で読むのは、先に上げたような批判をするような法的素養のある人とは限らない。そういう素養のない(ないことを責める意味ではない)人にも、協議の余地があることを明確化しておくことにも、当該契約に基づくビジネスを進める上で意味を持つのではないかという気もする。この点をライナスの安心毛布*3、という表現で評しているのを見た記憶がある。当事者に安心してビジネスを進めることのできる環境を整えるのも契約書の機能と見れば、かの条項はその機能を果たしていると見る余地もないではない*4ように思う。

 

うだうだ書いた割に中身はないが、こちらの現時点の考えという意味でメモしておく。

*1:なお、その種の批判の際にはこの種の条項には意味がないという言い方がなされることもあるが、意味があるかどうかというのは、論者の観測に係る範囲で意味がないというにすぎず、他方で、当該契約書が何らかの機能を果たしているところを当該論者がすべて観測できているのかというと、相手方の内心について観測できないまたは観測に限界があることを考えるとそのように軽々に断言できるのか、個人的には疑問が残るように思う。

*2:他のエントリでも書いたと思うが(面倒なので確認していない)、僕は、個人的には、契約書は、第一義的には、その内容に基づきビジネスをする人のために書かれるべきものであり、訴訟になったらどうするか、という視点での検討は二次的なものと考えている。

*3:スヌーピーを知らない世代にはわかりづらいかもしれない

*4:そのように見ないといけないかというとやや疑問だが。