余地を残す

またもや何だかわからない内容だけど、某先輩の誠実協議条項についての呟きを見て脊髄反射的に思い付いたことについて、呟いたことを基に雑駁なメモをしてみる*1

 

誠実協議条項が日本的な契約実務の下で求められるのは、要するに、締結時点では想定不能、想定が困難または想定が不適切であるがゆえに、内容を詰めずに「積み残す」項目があることが前提になっているというのは、指摘の通りだろうと思う。米系(英系もそうだろうけど)だと、その種の対応は嫌われる。「積み残す」ことなく、全部想定して書けという話になるように思う。

 

ただ、書いたら最後、その内容について相手方と揉めて、契約締結ひいては契約内容に基づく取引が遅れることも想定可能である。交渉の手間と取引開始の遅れという「費用」に見合うだけの「利益」が、「書ききる」ことで得られるという保証はあるのか、個人的には疑問なしではない。爾後の交渉の余地を残し、「書ききる」ことを避け、これにより生じるリスクー要するに、必要に応じて交渉をしたら、事前に交渉する場合よりも不利な結果に着地する危険ーという「費用」を負担することにより、交渉の手間を省き、取引を早期に開始する「利益」と取るという発想も正当化されるのではないか、そんな気がするのである。

 

所詮費用対効果の問題であれば、「書ききる」発想も、その逆の発想も、都度の状況*2における費用対効果ー前述の意味での「費用」ー次第ではどちらでもありうるはずと感じるところ*3。後者の発想は、昨今のように不確実性が増して、前記の意味での「費用」が高くなりがちなときや、「書ききる」相手との間での交渉力の格差が大きく、「書ききる」ことで、自らに有利な結果に終わらない蓋然性が高い場合には、十分正当化されるものと感じる。

*1:以下、複数の呟きを拝見して考えたことも含まれるが、個別の記載は、省略させていただく。何を当たり前のことをグダグダ言っているのかというお叱りを受けそうな気もするが、当たり前に見えることも、別の人にとっては当たり前とは限らない。なので、こういう形でメモしておくことにも意味があるかもしれないと思っている。

*2:ここは、契約の内容によっても判断が分かれ得るところだろう。一回限りのものと、継続的な取引基本契約とでは、同じ判断になるべきと考える理由はないだろう。

*3:ところが、「書ききる」ことを強く信じる方というのも一定程度いるようで、そういう方々には受けが良くないこともないわけではない。「書ききる」努力から「逃げている」と受け取られている模様。この点は、判断が難しいところではあるが...。