最近の何だか(2024/2/1):脊髄反射的なメモ

某漫画家さんの件で思ったことを、呟いたことを基に箇条書きでメモ。

  • まずは故人のご冥福を心よりお祈りする。
  • まずはテレビ業界とは関わらないのが一番なのではないかというのが、脚本家が原作者を批判するかのごとき内容をSNSに上げ、それに対し原作者が説明する内容をSNSに上げたのに接したときの最初の印象。契約で縛ろうにも、そもそも、契約での合意内容を守る気のない相手に対しては契約は意味がないし、視聴率などの為には契約違反も辞さないような相手となると*1、契約を締結するに足りる相手であるという最低限の信頼さえ確保が困難ということになろう。そういう手合いとは関わらない以外の実効的な選択肢はないのではないか。
  • この件に関するテレビ局側のリリースも、端的に言って、責任回避以外考えていないように見え、原作者への配慮が感じられなかった。こうしたリリースがなぜ出てしまったのかという疑問もある。この点について、かの会社の法務は何をしていたのかという気もする。かの会社における法務の領域の定義次第だろうが、法務のど真ん中の領域の問題ではないのは確かであるとは思うものの、リリースにより生じるであろう問題に気づいていながらそれを理由として何もしていない・できていないのは無力だろうし、気づける体制が作れていないなら、無能との批判はされても仕方ないのではないかという気もする*2。当節流行りの?「ガーディアン」的な機能からすれば、自分達に専門性がないと判断したために、直接何かをすることにためらいがあったとしても、その代わりに相応の知見のある危機管理広報のコンサルが内容について確認したことを確認するくらいはすべきだったのではなかろうか。もちろんこれは部門単位の話で、特定の一法務担当者がどうこうできる話ではないだろうが。

  • この件については、テレビ局に責任が何もないということは考えにくいのではないか。仮にそうであるとすれば、当のテレビ局の番組を見ないというのが批判としては適切なのだろう。こちらはそもそも受像機がないので、ネット経由とかでなければ、見ようがないのだが。

  • テレビ局側が問題となった番組の記事を少なくとも一度は消したようだが、消すなら、炎上し始めた時点ですべきだったのではないか。「魚拓」は残されていると思うべきだろう。そして、消したという行為自体から、特定の意味を理解されることになる、という危険も理解すべきではないのかと思う。

     

*1:ローエコ的な議論が脳裏をよぎるが、あの手の議論には経済合理性はあるのだろうが、倫理的にどうなんだという疑問は残る。

*2:相応の人数のインハウスもいるようなので、社内での力関係が脆弱なのかもしれない。