「理解」の意味

何のことやら。呟いたことを基にメモ。

企業内法務*1において、事業部門やビジネスの現場の「理解」が重要ということは争うつもりはない。他方で、そこでいう「理解」とは何か、どの程度のそれが、その会社の企業内法務に必要なのか、というのはそうそう簡単な問題ではないのではないかという気がしている。これは、個社・個別状況ごとに異なる問題でもあろうと感じている*2

 

例えば*3、素材メーカーで、主力製品の製造方法について、製造プロセスの機序について、化学式とかまで正確に、他人に説明できるレベルで理解していることが、その企業内法務に求められているか、というとどうだろうか。製薬メーカーの法務に、薬の効き方の機序の理解が求められているか。機序を発見して論文を書いたのであれば、その論文を読んで理解できることが求められるのか。

 

もしこうしたレベルで理解できるのであれば、理解できた方がいいだろうが、そのレベルでの理解ができないと、契約書の審査が一切できないような話ではあることはあまりないのではないか。こういう極端な例から考えると、求められる「理解」のレベルにも一定の限度があるのではないかという気がする。英語の表現でいえば、nice-to-have とmust-to-haveは別で、前記のようなケースでは前者であって後者ではないことが多いのではなかろうか。

 

分業という観点から考えても、企業内法務に対して、技術の一定水準よりも高度な理解を求めるより先に、法律論についての知見を深めることが優先される部分があるのではないか。ビジネスの実体についての理解についても同様だろう。全従業員が同じレベルの理解をしていなければビジネスが進まないとなれば、何かが間違っているのではないか。特に技術の進歩が速いテック系の企業等であれば。

 

そんなこんなを考えると、個別事案ごとに状況が異なるとしても、どこまでの「理解」をすることが企業内法務に求められるのか。その判断基準が奈辺にあるのか、が寧ろ問われるべきではないのか、という気がする*4

 

そのような問題への答えは「理解」を何のために求めるのか、ということから考えることになるのではないかと感じる。例えば、事業部門に「味方」と思ってもらうことでリスク情報の早期の吸い上げに繋げるとか*5、事業部門がストレスなく相談できるようにするとか、そういう「理解」により得られる「ご利益」から考えるのが良いのではないか、そういう形で考えることで、「理解」促進のために努力することへの資源配分の最適化(ご無体な努力を強いられることを防ぎやすくする)がはかられるのではないだろうか。投入できる資源が有限のところでは、そのような形で考えることが、特に管理職側では求められるのではないか。

 

また、ここでいう「理解」を個人単位で考えるのと別に部署単位で考えた場合には、企業内法務の管理職であれば、部署の人員のバックグランドの多様性とかローテーションいうことを意識することになるのかもしれない。つまり、事業部門経験者と法務専業の人間との組み合わせとか、教育の中に現場経験を積む機会を設けるとか、そういう話を考えることもあろう。組織として仕事をしている以上、そういう発想で事に当たってもおかしくはないだろう。

*1:例によって機能としてのそれであり、実際の名称は問わない。

*2:本エントリはこちらの体感に基づくもので、異論などがあり得ることはいうまでもない。また、こちらの現在過去未来の行動は棚上げした上での物言いであることも付言する。さらに、過去のエントリの内容と重なる部分があるかもしれないことも付言しておく。

*3:こちらが現在メーカー法務なので、メーカーでの例が脳裏をよぎったが、他の業種でも同様の話はあるのではないか。

*4:抽象的な議論だけでは益するところが少ないのではないか。

*5:事業部門側が自分たちに「阿る」ことをしない限り「理解」してくれたと感じないケースも想定されることは付言しておく。そういう場合にはそのような対応を取ることはある意味で「自殺行為」になりかねないことは言うまでもない。