最近こればっかりですいません。呟いたことに基づくメモ。
ある呟きに接して*1、図解ということについて考えてみた。
何かを伝える際に、意味や意図を明確する上で図解を用いるのはよくあること。対比構造や順序・機序・過程の理解を促す上で有用なことがあるのは確かだろう。この点は特に上位の職位の人間に理解を求める場合には必要だろう。
しかしながら、ややもするとその場でわかった気になっただけになったり*2、描いた側が伝わってほしいと考えた内容が十分に伝わらずに終わる可能性や、意図したところと異なる意味で伝わる可能性もあり、それらの点を懸念しなければならないことがあるのも事実と思う。特に矢印とかは、いかなる意味を持つのか、明確にしないと、誤解を招く可能性が累計的に高いと思われる*3。
企業内の意思決定については、最終的には経営判断の原則の下での保護が受けられるだけの手続及び内容になっているかという観点からの検討をすることが、企業内法務においては求められるものと考える。企業内法務の門番機能*4としてはそのような必要性が認められるだろう。そういう観点から見れば、事後的に内容が思い出せなくなるような、ふわっとした説明は回避すべきという話になるのが通常となるのではないか。穿った見方をすれば、そのような説明は、特に事後的な検証に際しては、その場で誤魔化されたという評価をされかねないし、それが故に、そのような説明で終わらせることは避けるべきという話になるのではなかろうか。
そういうことを考えると、単に図解だけで終わらせるのではなく、図解に加えて、図解の意味を説明する資料を残すことを検討するべきではないかと考える。図解を一律に回避するのではなく、図解の限界(要するにある種の断面しか伝えていない可能性、ということになろうか。)を踏まえて、上手く使うことが肝要と考える。