分かち合う術

何のことやら(苦笑)。例によって呟いたことを基に雑駁なメモ。あくまでも、こちらはこう思う、という以上の意味はない。

 

情報*1の共有というお話がTLに流れて来て、某氏*2の呟きにあれこれ言ったことのうち重要と考える部分のうちの一部などをメモをしてみる。

 

企業内法務における部署内での情報共有*3は、正直なところ、費用対効果が読み切れないと感じる。将来どういう情報が必要なのかがわからないから、当然のことと感じる。効果が読み切れない以上は、費用をかけ過ぎることには抵抗感を覚える。そこでいう費用には、共有のための書式・形式を整えるなど、共有に伴う際の負担も含まれる。負担が重くなると共有行為自体に腰が引けることも出てくるだろう。そういう共有の効果が読めないところでは、前記の意味での費用も減らして、運がよかったら役に立つという程度で良いのではないかという気もする。

 

また、共有は永続していることに意味があると思うので、どんなに忙しくても維持できるレベルで継続しないと、組織にとっては意味がないのではないかと感じる*4。そして、そのご利益は、長く共有を続けることで初めて見えてくる部分があるのではないかと思う*5。初めてみないと続けられないのだから、最初の時点で、効果が見えなかったとしても、将来への期待として、やってみることにも意味がないとはいえないと考える*6

 

そうした読めない将来への打ち手ということからすれば、あまり現時点で父権的な形で決め事をし過ぎないのが良いのではないかと感じる。仮に情報が保存されていたとしても、その情報にたどり着けるか、その情報を使いこなせるか、というと、言うほど簡単ではないと感じる。そうであれば、将来の解釈の余地は広く残しておく方が良さそうに見えるからである。読めない将来の打ち手という意味では、共有するべき情報も、特に限定する必要はないと考える。知識であれ、過去の判断であれ、そこから将来の世代がいかなるものを引き出すかも読めないはずなので。先般、「条文にない債権回収のはなし」が一部で脚光を浴びていたが、あの本に書かれている法律の条文は既に改正により陳腐化しているが、それだけを見れば、今更目を通す価値はないように見える。脚光を浴びているのは、そういう表面の向こう側にある「発想」であり、それは、そういう「発想」に目を向けるだけの能力がなければできない。将来の世代がそういう発想を持つかどうかはわからないが、持つかもしれないと考えて、そういう発想の持ち主のために情報を残すことを考えてもよいのではないか。

 

*1:片仮名で偉そうな名前を付けるのは好みじゃないし、別の名前で呼ぶことに特段の意味を見出せないので、この表記にする。以下同じ。流行りものに迎合するのもつまらないし、違和感のあるものには違和感があると言い続けることには拘り続けることにしたい。

*2:こちらの呟きを見ればだれかわかるので特に言及はしないでおく。最近はすっかり大人になったのか、一時期に発動されていた「謎の力」も発動されないようで、古くから氏の行動に着目してきた者としては寂しい限りである。

*3:なお、部署の責任者ともなると、そもそも部署内の人間と共有することが不適当な情報も相当あるのではないかと思われる。

*4:個人レベルの実績として転職などの時に「活用」することには別の意味があるかもしれないが...。

*5:コンプライアンス系とかハラスメント対策の研修のように、やっていることそれ自体に一定の意義があることもあるのも留意すべきと感じる。

*6:最初の時点で「仮説」を立てて、というのは、結局「仮説」が成り立たないと判断されると始まれないことになりかねないので、それが適切な対応なのかというと、疑義がないではない。こちらの尺度からすれば、将来への算盤がはじききれないのに、そこだけ算盤をはじくところに何の意味があるのか理解しがたいところである。