本日のぶつくさ

脊髄反射的に呟いたことを基にメモ。

 

TL上に限らず、ネット上では、議論というか論争をするのには慎重であるべきなのだろうと思う。話題にしても相手にしても場所にしても、相当選ばないといけないのではないかと感じる。

 

中でも特に相手は選ばないといけないと思う。相手というのは自分にとって、噛み合った議論ができる相手、という意味で、時点や都度の自分の状況(客観的なものや主観的なもの)によって答えが変わりうるものと考える。
更に、そういうふるいにかけてもなお残った相手とであっても、噛み合った議論をするためには、共通の前提が必要で、そういうものがないと話が噛み合わないことが多いのではないかと考える。


似たような人々の間で、似たような話題で何度も似たような形で「炎上」するのは、参加者の方々が自分たちで思っているほどに、そういうところの共通性が具備していないから、という可能性が高いからではないかと考える*1。個々の参加者に見えているものが異なるとそもそも話が噛み合わないことは想定しやすいところだろうから、ある意味当然の結果なのかもしれない。いずれにしても、そういう点のすり合わせなしに話をしても疲れるだけという気がする。

 

加えて、見えているものという意味では、世代的な要素も無視できないのではないかと感じる。同じ時代に同じ現象を見ていたとしても、その時の見ている側としての立ち位置の差で見え方は変わりうるし、見え方が変われば受け止め方も変わるのは当然だろう。そうなると、同じ時代にいたというだけでは、話が噛み合わないことも十分生じうる。そう考えると、一定より世代の離れた方と接するときは注意が必要と心得るべきと考える。不用意な絡み方はせず、エアリプ、または、会話程度に留めるのが無難なのだろう。それが良いか悪いかはさておき、無駄に疲弊するのを避けるうえでは適切な身の処し方というべきなのだろう。

 

そういうことを考えると、言葉での意思疎通が成り立つ範囲が狭くなるのかもしれないが、それはそれでこちらの限界と思うことにする。

*1:こちらの棲息?している界隈での一例をあげれば、インハウスをめぐる諸々の話題はその典型なのではないかと思う。こちらのような遍歴をたどった立場からすれば、生物としての年齢の若い外の弁護士の先生方が議論しているのを見ると、思うことはあるが、こちらにかの方々と噛み合った話をする能力に欠けると思われるので、黙っている方が無難だろうと思うことにする次第。