その要求の意味は

何となく、こちらの過去の経験に基づく、脊髄反射的なメモ。色々思うところがあったので。

企業内で契約書(書面については電子的なものも含む。以下同じ。)の内容を検討することを求められた場合、検討するにあたって、検討対象の文書だけ渡されても、それだけ読んで、検討が十分できるかというと、必ずしもそうではない。もちろん、仮定を置きながら検討することは可能ということもあるだろう。とはいえ、訊かないと分からないこともあるし、訊くことで検討がピンボケになることを防ぐということもあろう。

 

そういう意味では、一定の情報を依頼してきた側に求めることにも意味があることが多いだろう。そして、求めるべき情報は、多くの場合、共通性があると思われる*1

 

そして、毎回同じ内容を一から訊くのは、時間もかかって効率的とはいえないことから、契約書を検討する際にあらかじめ一定の情報を定型的に求めるという対応も、状況次第では必要となることもあろう。検討する側の人的資源が不十分で検討すべき量が多いときなどには、そういう対応を求めることは、検討の効率化に資することになり、検討の効率化は検討に要する時間を減らすことにもつながるはずだから、訊かれる側にとっても利益となり得るはずである*2

 

そう考えると、検討を依頼する側に対して、契約検討の依頼の際に一定の様式に記入を求めることは、特に問題はない、という状況があり得ることになるものと考える。

 

また、契約を検討した後に、稟議などの形で契約締結に向けた内部的な意思決定の過程を経る場合、稟議書類に記入すべき内容も契約を検討する際に訊くことと重なることが多いというのがこちらの経験則なので、いずれにしても一定の様式に記入などをすることが必要になるから、契約検討時に訊いたとしても、依頼する側の負担が多くなるとも限らない。

 

さらにいうと、時として、契約書の内容をまったく理解しようとせずに、「丸投げ」してくる依頼者側に、この種の作業を一定程度要求することで*3、契約内容の理解を確認するという側面も想定可能だろう。

 

以上からすれば、状況次第では、この種の作業を求めることも、十二分に正当化できると思われる。したがって、そういう状況に思いが至らずに、外形的に様式への記入を求めることのみをもって、無限定にあれこれ論難するのは、想像力に欠けた行為という気がする*4

*1:この点については、以前エントリにした内容とかはその一例だろう。

*2:訊いている内容がピンボケになる可能性もないとは言わないが、とりあえずその点は脇に置く。

*3:過剰な作業を求めてしまうと挙げたような利点を相殺するような不利益が生じることも想定されることはいうまでもない。

*4:自戒を込めて言えば、過剰な一般化をしていないか、など、自らの言説の射程距離について注意することは、重要なのではないかと感じることが多い。