最近のぶつくさ(2021/4/12)

例によって呟いたことのメモ。

  • 世間がどうであれ、自分にとって違和感を覚えたことについては、都度都度、言葉にして、外界に呈示しておくことはいくつかの意味で重要と感じる昨今。
  • 翻車魚(まんぼう)などと言って、人々に対し、感染防止の観点から諸々の行動を控えるよう求めるのと、五輪という感染リスクの高いスポーツ大会を開催すると言っているのとはどう整合するのか個人的には理解できない。上級国民の皆様が五輪を観戦し、またはそれに参加するために、下々は感染リスクも含めて我慢しろということなのか。学問や演芸の分野、飲食店などに我慢を強いることを正当化できるだけのものがあるのか。そのあたりを為政者が総括することなく、さらに要求事項ばかり増やしているのがなぜ正当化されるのか。
  • 元気とか感動を得るかどうかは受け手の側の問題で送り手がどうこういうのは僭越にすぎる気がする。
  • 希望することがあるのと、それを実現するためのコスト(金銭面に限らず)をどのように調達するかは別のことだという認識がないように見える人が多いのはどうしたものか。
  • 企業自体とその被用者である労働者とは分断されているのは当然のことであり、その両者を混同するのは不適当と感じる。仮に企業が負うべき義務があって、それが何らかの理由で履行されていないとしても、その批判を当該義務を履行する能力のない現場の被用者にぶつけて何らかの意味があるとは考え難い。
  • ヲタクになるということは、効率的になし得る行為でないと思うし、その点を弁えることができない時点で、ヲタクになる素質はないのではないか。効率を気にせずのめり込めることこそがヲタクの証であると、その適性に欠ける当方は思うのであるが。