本日の何だか(2020/10/1)

例によって例のごとくメモ。

  • 国勢調査を手書きで出した。電網経由だといくつか設定をしないといけないようでそれが面倒に見えた反面で、封を開けてマークシートを塗って、多少の文字を欠く方が僕にとっては簡便に見えたのでそっちにしたまで。何を簡単と見て、何を煩雑と見るのかは、物の見え方にもよる部分もあるような気がしている。
  • 役所の判子の話で何かあったようだけど*1、稟議という仕組みの中で判子だけ廃止しても意味がどこまであるのかよくわからない気がする。企業でも相応の大きさのところでは、それ相応に稟議の仕組みがあって、それにはそれなりの理由付けがあるから、外形的な判子についてだけ騒いだところで、結局表面上だけの話になるのではないかという気がしないでもない。この点について騒いでいる特定界隈の方々がその辺りをどこまで理解しているのか、時々疑問をいだくような事例に接することがある。
  • M$WORDについて、文中へのコメントの入れ方について盛り上がっているのを見たけど、コメント機能は、コメント自体が長いと折りたたまれて却って見づらいのと、コメントが多くなるとファイルの安定性が低下するのとで、使える状況は限定的と理解している。状況に応じて文中へのコメントとの使い分けが肝要と理解するところ。コメント一神教(謎)の方々は、コメントの弊害で泣くような目にあったことがない幸せな方々なのだろう*2

*1:判子が叩かれているのは、いつもの叩きやすいから叩くなんじゃないかという気がする。

*2:分厚い契約書を複数の人間でレビューするのを何往復するとか別に知らないならそれはそれで幸せなのではないかという気もする。