「手紙」の書き方について

呟いたことを基に益体もないメモ。

 

男性であればオッサンと躊躇なく自称できる年代になると、どうしても下の世代に何かを言いたくなりがちな気がする。実際、仕事としても言わなければならない場合も出てくる。その際に、気を付けないといけないことがあるのではないかと感じることがある。

 

自分たちがこうあるべき、と感じていることを、下の世代に伝える場合、下の世代とは置かれている状況が異なり、そしてそれがゆえに、自分が思っているほど、価値観が共有されていないことは、まず理解しておく必要があるように思う。極端にいえば、他人とは価値観が異なる、世代が離れれば、離れた分だけその差は大きくなると思っていた方が良いのではないか。

 

そう考えると、仮に、一定の価値観を前提にすれば、自明な事柄であったとしても、その価値観を共有していない相手にとっては、自分が感じているのと同様に自明とは限らないということになる。そこで、そうした価値観を共有していない相手に対して、何かを伝えたいと思うのであれば、自分の言説が、そうした前提に立っていないかという検討が必要になろう。そのうえで、そうした価値観の違いを乗り越えて、なお何らかのメッセージ(要するに「手紙」ということになろうか。)を伝えようとするのであれば、そうした違いを乗り越えても読み手が納得するだけの論理を示す必要があろう。

 

そのあたりが十分できておらず、情緒的な話に終始して、論理が「飛んで」いると、仮に、どれほど有益な内容であったとしても、読み手からすれば、悪い意味での「ポエム」か、飲み屋で中高年が若い衆相手に管を巻いているのと大差ない結果になりかねない。訴訟における事実認定と同じで、争いなく認められると考えられるところから、きちんと段階を踏んで論証しないと読み手からすれば説得力を感じづらいだろうし、読み手が腹落ちしないと、却って読み手に取って逆効果になる可能性があるというのは、ある意味で当然のことではないかと思う。

 

…というようなことをこちらとほぼ同年代と思われる方が実名で書かれた某書籍について*1、下の世代の方々の感想を見ていて思ったので、備忘の為に、自戒を込めてメモしておく。

*1:当該書籍(こちらのつぶやき等を見れば特定可能だろうが、一応本エントリでは具体名を出すのは避けておく。)については、著者の勤務先が某事態に晒されているところでもあり、当該事態の下で著者自身がどこまで勤務先経営陣に対して影響力を及ぼすことができたのか、出来なかったのか、可能な範囲で、当該書籍の改訂時にはぜひ加筆をしていただきたいと思う。