結果としての価値、過程としての価値。

呟いたことを基に益体もないメモ。

 

会議の議事録について、当節流行りの片仮名系の道具を用いれば迅速簡易に作成可能という言説に対し、議事録作成での論点整理、構造化、簡潔化という技術がビジネス上の文書作成能力の基礎となる点を指摘している言説に接した*1

 

議事録という結果を迅速簡易に得ることそれ自体に一定の価値があることは、確かだろう*2。他方で、上記の指摘は、議事録という結果に作成者の上記記載の能力が反映されること、裏返せば、議事録作成過程が作成者に対して上記記載の能力を養う機会になることを示しているものと考える。

 

結果として出来上がるものが有する価値と、結果を作る過程で得られる価値とは、それぞれ別個に存在するものと思われる。この両者が別個に存在していることに自覚的である必要がある状況も存在するだろう。上記の例にように昨今流行りの道具で前者を迅速簡易に生成したとしても、その生成により能力養成をする機会が奪われた場合、当該能力が必要であれば*3、別途その養成のために費用が発生することになろうが、再調達基準で考えた場合、迅速簡易な生成の道具により得られる直接的な便益とその調達費用を比べがちだが、失われ再調達が必要な能力養成の費用も勘案しないと、零からの再調達基準で考えた時には、適正な費用対効果の比較*4にならないのではないかと感じる。

 

一つ問題となるのは、特定の道具の導入により失われるものが何か、が必ずしも自明ではないことだろう。結果として何が失われるか、を想起するのはそれほど容易ではない。その意味で、費用対効果の比較は見た目よりも難しい作業といえるのではなかろうか*5

 

 

*1:これらの言説について批判等をする趣旨ではないので、ここではリンクなどはしないでおく。

*2:なお、法的な効果をもたらす議事録、企業の取締役会の議事録がその典型だが、については、そういう安易な話からは遠いところにあることは、既に何度かこちらでも指摘しているが、再度指摘しておく。技術の問題というよりも、会議で話をする人間の能力の限界の問題だろう。

*3:すべての議事録がかの道具で生成されるとしても、前記能力はそれ以外の文書作成で必要であろうし、すべての文書がかの道具で生成されたとしても、口頭での議論でも前記能力が必要なので、結局のところ人間がビジネスをしている限り、前記の能力が不要になるということにはならないものと考える。

*4:英語でいうところのapple to apple

*5:いうまでもなく、これらの点は今回俎上に挙げた道具以外についてもおそらく同様にあてはまるものと思われる。