何のことやら。呟いたことを基にメモ*1。
某新興系事務所の創業者の方が*2、事務所の弁護士からインハウスに転じるのを「逃げ」と評しているのに接した*3。
個人的には「逃げ」てもよいのではないかと思う。「逃げ」るべき理由が相応にあるのであれば。「逃げ」と評する先生方が「逃げ」た方の人生に責任を取ってくれるわけではないし*4、他方で、「逃げ」ずに「壊れた」場合には、そこから「回復」(程度も色々あるが)するとしても、時間もかかる。身の安全があってこその仕事なので、自分の身体的・精神的安全を確保することは最優先であろう。その意味でこちらはかねてより#杉原千畝プロジェクトに賛同しているわけである*5。
とはいえ、安易にインハウスが「逃げ」る先になるかというと、それはまた別の問題としてあると思われる*6。自営業者として有している種々の裁量(自由というべきかもしれない)は、組織人としての振舞を求められる中では、認められない場合もある。理不尽な人間が組織内にいないという保証はない*7。企業内で生じる案件については、企業内法務部門*8としては、所管事項に当たる限りは、部署としては逃げられず、選択の自由はない*9。組織として対応している分、個人として責任を負うよりも精神的な負担は少ないかもしれないが。事務所の弁護士とは別の形で、向き・不向きがあるのは間違いないと思われる*10。また、労働法規の保護下には入るが、そのことはWLBが常に保証されることまでは意味しない。この辺りはTL上の企業内法務の担当者の一部の方の労働状況を見ればわかるだろう。
・・・以上、現時点のメモということで残しておく。
*1:なお、当然のことかもしれないが、以下はこちらの体感に基づくもので、異論などがあり得ることは言うまでもない。
*2:それなりの組織の創業者というのは、それ以外の方とはモノの考え方が違うという指摘にも接した。一理あると感じるところである。
*3:別の方が、事務所の代表者がツイッターをしている事務所は避けた方がいいと述べておられるのにも接した。一理あると感じたところである。
*4:こういう言い方をすると、それは自己責任だという切り返しは想定可能だが、そういう発言はすべて経営弁護士のある種のポジショントークとも考えられることにも留意が必要だろう。経営弁護士(要するにボス弁)にはアソとは違うご苦労があるのは、依頼者サイドから見ていてもある程度は想像はつくが、それでも前記の点は変わらないと考える。
*6:「逃げ」だから採用されないという意味ではない。「逃げ」であろうと、目先の案件にきちんと対応してくれそうであれば、採用の可能性は相応にあろう。
*7:某書籍では「ナイスでない人」という表現が取られているが、そういう表現をすべき人間が組織内にいるということは認識されるべきだろう。
*8:実質的な意味で、名称は問わない
*9:外部の事務所に対応を依頼するという選択肢がある場合もあるが、常にそれが可能とは限らないし、仮に以来可能としても、依頼をするために必要な手間があることや、依頼後の手間も相応にかかることなどにも留意が必要だろう。
*10:僕自身は、2年だけ事務所のアソをやってみて、企業内法務の方が向いていると判断した。もともと、企業内法務を続けるために資格を取ろうと思っただけで、事務所の弁護士になりたいと思っていたわけでもない。親が会社経営者で会社がつぶれて実家も失った経験もあるので、自営業者というものに積極的になれないということも影響しているのだろうが。