客観性の落とし穴 (ちくまプリマー新書 427) / 村上 靖彦 (著)

一通り目を通したの感想をメモ。データに振り回されがちな昨今では目を通しておいて損のない一冊ではないかと感じた。

 

本書の内容については、著者の一連の呟きを参照のこと。これらの呟きを見て、本書を購入することに決めた。

 

個人的には、なんでもなんでも数値化、時に「見える化」などと言われたりもするが、ああいう傾向には疑問を覚える。なので、著者の主たる専門領域と思われる医療現場や貧困地区の子育て支援の分野での話をどこまで理解できたのか定かではないが、上記のような著者の問題意識には、頷けることも多く、なるほどと思いながら、拝読した。客観性なるものが重視されるようになったのはここ200年程度の話という指摘や、客観性重視と社会での弱者に厳しくあたる傾向とには、数字によって支配された世界の中で人間が序列化されるという傾向があるという指摘には、特に印象的だった。200ページ弱の本で、文章も平易なので、読むのにはそれほど手間はかからなかった。

 

こちらの仕事である企業内法務でも、数値化を一切否定まではしないが、特に個々人の評価との関係で、数値化は求められるが、数値化することにどこまでの意味があるのか、ということを疑問に思うことは多い。ある種受注産業的な立ち位置で、依頼をコントロールできないところで、数値化を仮にしたとしていかなる意味があるのか、と感じる*1。こういうことをいうと、数値化しないと管理できないという反論が来ることが多いが、数値化すれば管理できるのか、できていると思っているだけなのではないか、不適切な数値化がもたらす弊害についてはどう考えているのか、という気がしてならない。

 

それと、「客観性と数値が重視される中で失われた一人ひとりの経験の重さを回復するために「語り」を大真面目に受け取ることを」提案しているのは、「客観性」「数値」重視への反論としてはあり得るだろうなと感じた。

こちらの今の仕事との関係でいえば、ハラスメントの内部通報への対応においては、「被害」を訴える人の個別具体的な「語り」に耳を傾けることは、いくつかの意味で、間違いなく重要なのだが、それだけでなく、相手方となる「加害者」側がなぜ通報対象となる「行為」をするに至ったのか、という点についての「語り」も目を向けないと、実効的な再発防止策を見出すことができないのではないか、と感じた。このあたりの話は、個別性が強くなるから、ある意味では当然のことなのかもしれないが。

 

 

*1:とはいえ、多数に無勢なのと、部下に対する責任はあるので、何もしないわけではないが、大きな意味はないと考えてやっている。