最近の何だか(2021/12/6)

AC企画関連も含めTL上のやり取りなどを基に、いくつか箇条書きでメモ。

  • 伝わるべきことが伝わるべき人に伝わるというのと、伝わるべきではない内容が伝わるべきではない相手に伝わることを防ぐというのは、意思疎通の在り方としていずれも重要と感じる。
  • 社内外の他部署・他士業との役割分担・連携は重要だが、そのためには、情報の抜け漏れを防ぐための確認が必要で、抜け漏れによるリスクを防ぐという観点からは企業内法務の職能として重要と考える。その前提として、同一の目的に進むこれらの方々に対し、相互に敬意を払うことも重要。
  • 客観的に見て重要なことでも、主観的には無意識にしていたりすることもある。再現性、永続性を保つためにはそれらを意識する必要があるが、言うほど簡単ではない。
  • 数値化というのは、比較可能性のために、一定程度やらざるを得ないということになっているのだけど*1、数値化になじみにくいものをどうしても落としてしまうので、ある意味で、偽善という気がしている。その偽善性は、数値化されたものを受け取るだけの側には伝わらないし、数値化されたものが独り歩きをする宿命を回避するのは困難と感じる*2。そういう意味では数値化自体を回避するしかないのではないかと感じるが、こういう風に感じるのはおそらく少数派なのだろう。個人的には人事評価の類はどう転んでも所詮は好き嫌いでしかなく、恣意性の完全排除というのはどのみち不可能と思っているからそう思うのかもしれないが。
  • 見えづらいものを見えるようにしようというので「見える化」という言い方をよく見るが、「可視化」ではいけないのかという気がする*3。何だか莫迦にされている気もする。それに数字とかにしたところで、「見えている」と本当に言えるのかというと疑義もあり、「見えている」と自己満足に陥っているだけなのではないかという気がしてならない。見えづらいものであっても、そういうまやかし抜きに見ようとすることが大事なのではないか、「見える化」といいながら見ないようにしているものがないか、と思わないでもない。また、それとは別に、見えないとしても感じ取れ、とも思う。視覚がすべてではないはずだし*4
  • 契約交渉において、交渉力が弱く、交渉の結果着地しそうなところが見えていて、交渉役もそれほど交渉自体に乗り気でない場合は、無理をしても決着するところが同じということもあり得て、そうなると法務が趣味で高望みをして時間を無駄にしたという批判が生じかねない。安易に着地できそうなあたりを選択しているといつまでたっても交渉力が弱いままになりかねないのだがそのあたりの匙加減は難しい。

*1:企業内においては所詮人事の自己満足でしかなのではないかという思いが拭い去れないのだが。

*2:ましてやその程度の数値を作り上げるために多大な手間を投じるのは無意味という気がしている。仮に数値を拾うとしてもほどほどの手間でできる程度のもので対応できるようにする方が重要と感じる。

*3:刑事手続きのアレの話は脇に措く。

*4:こちらがどこまで何が「見えて」いるか、感じ取れているかは棚にあげていることを付言する。