例によって呟いたことを基に益体もないメモ。
企業内弁護士、いわゆるインハウスの数が増えたことにより、弁護士の顧問業務が減るのではないかという言説に接した。確かに、企業内の法務担当者の数や能力が強化され、案件ごとに外部の弁護士への依頼について、よりビジネスライクに、案件の性質などにより、ビジネスライクに単発の契約により依頼するという形式が増えると、敢えて顧問弁護士を起用する必然性は減るだろう。顧問契約をして、毎月固定費を払うという形式をとることの意義は減少するかもしれない。
しかしながら、顧問弁護士に何を求めるかが変わるだけで、一定の顧問弁護士は残るのではないかと思う。法律的な知見だけではなく、社内の諸々への理解とか、社内の人々との人間関係の蓄積による信頼関係の比重が増すだけで。
社内で説得しきれないときの道具としての価値は減らないのではないかと考える。理屈の問題だけなら、ビジネスライクに都度、個別最適化された形で、外部の事務所に依頼すればよいが、単なる知識に基づく分析は別に、この先生が言うなら仕方ないと経営陣が思う顧問弁護士というものの需要は減らないのではないか。法律論だけではなく、個社の状況・歴史・企業文化等を踏まえたうえでの助言で、偉い人の安心感の調達先となるのは容易なことではないように思う。
以前、外の弁護士さんとの付き合い方を分類したことがあったが、そこでいう「老師」系(某先輩がシャーマンと言っていたのも思い出す)の先生の需要は特殊であり、そうそう代替可能ではないのではないか。
この辺りは、外の弁護士に対する考え方が変われば、需要自体減るかもしれない。また、こうした「老師」の代わりを準備するには年数がかかるだろうし、そういう「老師」自身が、その会社にとっての後継を育てるのも容易ではないように思う。育った瞬間に自分がお払い箱になる危険もあるので。もう少しはこういう需要は残るだろうが、その先はどうなるかわからない気がする。