「会議体としての株主総会を考える」/川井信之(著)

拝読した感想をメモしてみる。

 

会社法などの分野で経験を積まれた著者が、総会についての学者の先生方の議論を踏まえて、ご経験等に基づき、ご自身のお考えを述べられているもの。論考を書かれた旨のエントリを書かれていて、内容が気になっていた。転職して、現勤務先が会員企業ということで*1、拝読することができた。

 

学者の先生方の議論については、総会の中心的機能は意思決定機能にあり、それが事前投票などで形骸化していることを根源的な理由としているという指摘をされている。そのうえで、総会について、決議に向けた審議の場としての意義、信認の場・確認の場としての意義、対話の場・情報提供の場としての意義の3つに整理する経産省の報告書について触れられたうえで、私見を述べられている。現状の会社法における会議体としての株主総会を維持することに賛意を示す理由として、大要、経営者・従業員・株主がその意義を見出していることと株主の利益保護にも総会が有用であることを挙げられ、裏付けになると思われるデータも示されている。文章は読みやすいけれど、熱量を感じる論考だった。

 

個人的には著者のご指摘に賛成する。本稿での学者の先生方の議論の要約を見る限り、どこから総会を見ているのかよくわからないという気がした。株主総会という制度が特定の誰かのため(主としてその会社の株主やその会社と取引する取引相手だろう)の制度のはずなのに、その誰かの視点からの議論なのかよくわからないというところだろうか。


意思決定機能が形骸化しているという側面についても、平時においてそうだとしても有事の場合にはそうとは限らないし、そもそも意思決定機能だけを見ればいいのかというところも、こちらは疑問に思う。その意味では経産省報告書の指摘する3つの意義は、学者の方々の議論よりは納得しやすいと感じた。

 

著者の指摘する当事者にとっての意義も、こちらが企業内で、それほど回数は多くないとしても、総会の準備も含む機関法務業務に関与する範囲で感じてきたものと整合的で前に述べられたものよりもさらに納得感が高い。個人的には年に一度の儀式としての意義(経産省の整理でいうと、信認・確認の場としての意義に近いものだろうが)は、経営者に対する規律として意味があり、それは株主の利益保護にもなると感じる。特に、バーチャルではなく、生身で株主と対峙することの緊張感というのは馬鹿にならないと思う。こういうことをいうと、平素から株主と向き合い続けるべきではないかという指摘が出そう*2だが、規律という意味では、そういうものに慣れすぎてもいけないので、年に一度というところにも意味があるのではないかと感じている。

*1:株懇は、幸か不幸か直接の接点を持ったことがない。過去の勤務先が会員企業だったことがないわけではないが...。いずれにしてもおっかないところという印象が強い。

*2:実際バーチャル総会推奨派の人からそういう指摘を別のところで受けたことがある。