例によって呟いたことを基に手動twilog的メモ。
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母国語で高等教育ができることの意義についての理解ができていないのではないかと思われる事例に接する。母国語で高等教育ができないとなると、高等教育を受ける層とそれ以外の層との間で言語の分断が生じかねず、分断が生じれば、両者間での文化の分断につながるという指摘をどこかで読んで納得したのを思い出す。そうなると、自分たちの根源が揺らぐことになりかねないはずなのだが、そうした利益は目先の算盤しか視野に入らないような視野の狭い層にとっては、どうでもいいのだろう。
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意識する・しないとは別に、自分をめぐる今の状態が、いろいろなものの微妙なバランスの上になりたっていることは感じる。諸々気を付けないといけない。
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下の世代に負ける部分があっても、忖度に抜きにして勝てる部分が少しでもあれば、まあ、いいんじゃないのかという気がする。そう思ってないとやってられないというのが正味のところだろうけど。負かされないのは進歩という点ではまずいのかもしれないが*1、簡単には負けないというのも大事なことだろう。ここはひとつランバ・ラルの心意気で(謎*2