【完全版】袴田事件を裁いた男――無罪を確信しながら死刑判決文を書いた元エリート裁判官・熊本典道の転落 / 尾形 誠規 (著)

近所の図書館で借りて目を通したので感想をメモ。目を通してよかったと思った。

 

袴田事件そのものは再審開始決定が出たことなどで目にする機会もあり、その際に東京高裁の裁判官が証拠捏造の疑いがある旨判示するなど、普段刑事事件に関与しないこちらですら、驚くような指摘があったこともあり、改めて興味を持った。本書は書店で見たが、買う気まではしなかったので、近所の図書館で借りて目を通してみた。

 

ルポライターの著者が、袴田事件の一審判決の起案をした故熊本元裁判官について、ご本人、ご家族その他関係者、及び、袴田氏関係者にインタビューしてまとめたもの。再審決定を受けて、再度内容に加筆がなされている。また、数名の方からの寄稿なども付録として付されている。熊本元裁判官ご本人だけではなく、その他の方々も個性豊かな方が多く、その辺りを見るだけでも興味深く感じた。

 

エリート裁判官だったはずの裁判官が、意に沿わぬ死刑判決を起案したことなどから、人生が変化していく様子などが本書の内容の中心となっている。熊本裁判官については、判決について告白したことなどからすれば、美談を仕立て上げるのはそれほど困難ではないかもしれない。とはいうものの、ご自身が美談にしたくないとコメントされていたように、本書の記載を読むと、行動の振り幅が大きく、周囲に対する迷惑のかけ方を見ると、美談とすべきではないとも思う。他方で、困窮はしながらも、結局はどこからか支援が受けられているところを見ると、人として愛される力に優れた方なのだろうと感じた。

 

意に沿わない死刑判決を書いた裁判官は、他にもいただろうし、そのことを公にすることなく、そのまま執務を続けた裁判官もいただろう。氏の同期の木谷明元裁判官がその一人といえ、その木谷元裁判官との対比は印象的だった。そういう裁判官と比べると、熊本元裁判官は、もともと精神的な脆さを抱えたまま任官して、意に沿わない死刑判決が引き金となって、精神的な平衡が保てなくなっていったのだろうと感じた。その意味でこの事件は引き金を引いたに過ぎず、かの事件だけを理由にするべきではないだろう。

 

一応有資格者としてまず気になったのは、そもそも合議で左陪席が最後まで無罪とすべきと主張しているのに、多数決で有罪判決となった点。裁判官の独立との関係でそういうやり方でいいのか。最後まで説得できないならば、利益原則に従い無罪にすべきではないのか*1。もう一つ気になったのは、付録での木谷裁判官の講演で指摘された問題点(おそらく熊本元裁判官の判決当時の思考をトレースしたものだろう)と「宣誓神話」の罠や取調べ可視化の罠というあたり。この事件では検察と警察に問題があるのは事実だが*2、それ以上に裁判所に問題が多く、既に主張されているような再審法の改正が必要なのだろうと感じた。

 

もう一つ、言うまでもないが、この事件が無罪判決が再審で確定することが必要なのは間違いあるまい。袴田氏の寿命が尽きるのを待つような戦略を許してはならないだろう。せめてその程度の矜持は裁判所が示してくれることを望む。

*1:合議体では、裁判官の一人に拒否権を与えるようなものだが、冤罪を防ぐためにはやむを得ないのではないか。

*2:検察とか警察がいざとなれば証拠偽造位する組織なのは別にこの事件だけに限られないし、今もそうなのかもしれない。寧ろそれを止められない裁判所の方が問題だろう。