本日のぶつくさ(2023/7/5)

あまり企業法務とは関係ない話で、呟いたことを基にメモ。

 

特定の界隈で「論理的」という表現を「こちらが納得する」というのと同義で使っているのではないかと思われる事例に複数接した。仮に、ご当人以外から見ても論理的である内容であったとしても、法律のような社会的規範については、論理的であることは唯一無二の価値ではないかと思う。

そして、仮に、法律の解釈論で論理性が優れているとしても、なお、多くからの支持を得られずに、「異説」として退けられているとするならば、それは論理性以外のところに弱点があるからではないかと思う。結果の妥当性とかもないと、論理的な整合性だけでは、行為規範である法律の解釈論としては多くの支持を集めるのは困難なのは、ある意味で当然のことのようにも思われる。

そうしたことを考えると、多くの支持を得ていないにも拘わらず、なお、その論理性を前面に出して主張するとなると、うがった見方をすれば、その論理性以外には、その見方を唱道するための武器がないということを示唆しているようにも読めてしまう。そういうやり方が、特定の見解を唱道するうえで良い手なのかというと疑問の余地があるのではないか。