コメントをする意味

呟いたことを基に脊髄反射的なメモ。前にエントリにしたことと重なる部分があるかもしれないが。

 

大要、AIレビューが推奨した契約書の修正文言であるとする旨のコメントを付して契約書の文言の修正案を提案してくる、という事例に接した旨の呟きに接した。

 

契約審査において、相手方から出てきた案文に修正した文言を修正して、修正文言に何らかのコメントを付すのであれば、力関係で自社の案を押し付ける場合を別にすれば*1、そのコメントを付す目的は、自らが提案した修正文言が相手方で受け入れられることに資することになるはずである。その意味で、相手方の担当者が自社内を説得するのに資するものでなければ、自社の修正案を受容してもらうという獲得目標に近づくことにならず、有害無益なコメントにしかならない。

 

そういうことを念頭におくと、自社でAIが当該文言を推奨したという事実は、前記の目的を得るうえで、何かの役に立つだろうか。力関係で自社案を押し付けるような場合以外は、答えは否であろう。AIが如何なる視点から問題点を元の文言に見出し、見出した問題点に対して、推奨する文言が如何なる意味で手当てをしたことになるのか、そしてその手当て内容が相手方にとっても受け入れることに利点のあるものであるのか、そういうことを説明をしなければ意味がない。相手方が説得されるはずもない。いずれにしても説明すべきは検討内容であって検討方法ではない。

 

そのようなことに思いが至らず、思考を放棄ないし停止しているからこそ、先に挙げたような有害無益なコメント(コメントする側の無能をさらけ出す意味では有害だろう)をするわけで、そういうコメントをしてしまうこと自体が「痛い」だけではなく、それが自社内で制止させることなく、相手方にまで渡ってしまうとなると、その企業自体が「痛い」ところという評価になってもやむを得ないものと考える。

 

こういう思考放棄・思考停止をもたらすのであれば*2、斯様な道具は使うべきではないという判断をすべきなのだろう。道具を使いこなすどころか、道具に使われているだけなのだから。こちらの部下が斯様な物言いをしたら、直ちにAIの使用を禁止することにするつもり*3

*1:その場合は、コメント自体不要であり、文言だけ押し付けるのでも足りるだろう。

*2:ただし、この種の事態は、別にAIという流行りの道具に限った話ではなく、学者の意見書などでも生じうるというご指摘もいただいた。なるほど日の光の下には新しいものはないということかもしれない。

*3:それ以上に法務の適性がないとして、法務以外への異動を考えるべきかもしれない。