近所の本屋で文庫で出たときに買っていたものに今更ながら目を通したので、感想をメモ。
今村核先生に密着したノンフィクション。NHKの番組での内容が基になっている。
刑事で無罪判決を14件得ているという実績には、ただひれ伏すしかない。しかしながら、ご本人は、自身について、専門は冤罪事件、と公言するのを躊躇う。実績からすれば、公言しても誰からも文句はつけられないし、ご本人も生きがいを感じている(と思われる)のに。その理由は極めて単純で、経済的に割に合わないから、ということに尽きる。僕は刑事事件はこれまで1年目の1件(認め事件だった)だけしかしていないが、その時の経験からもこの点はよく理解できる気がする。私選で潤沢な報酬がもらえるような事件以外では、刑事事件は経済的に割に合わない。時間と手間が膨大にかかる割に得られる報酬は少ないから。時間と手間がかかるのは、冤罪事件の場合は、事実上無罪立証を完全にしない限り、勝つことは覚束ないから。刑事訴訟法の原則とは異なる現実がある。
本書ではそのあたりの事情が語られている。「証明の科学化」をモットーにされる今村先生が、実際に家の模型の燃焼実験を行うあたりや、バス車内での痴漢事件で社内のビデオ映像を解析していくあたりは、ここまでしないといけないのか、と感じざるを得ないし、それと共に、自分ではここまでのことはできないと確信するから、刑事事件には関わるべきではないと痛感する*1。
こうした営為の費用は持ち出しとなるわけで、弁護士と言えども商売である以上、本人の正義感があっても、費用対効果を無視して事件にのめり込むことには限度があるのが通常で、今村先生でも事務所内では肩身が狭いようであった(それでもやれるのは、ご本人が達観している部分と独り身である点*2などがあるのだろう。)。
そこまで冤罪事件に拘る理由については、ご本人の生い立ちやご両親との関係が大きく作用しているようで、そのあたりの描写も興味深い。反発してはいるものの、自分の信念を貫き通すやり方は、御父上(大学在学中に司法試験に合格し、東レに就職して副社長まで勤め上げた後、修習に行き、弁護士をされたというのが凄い)から受け継いでいる部分は大きいのではないかと感じた。
僕ごときがいうのは僭越極まりないが、今村先生がここまで冤罪事件に打ち込まれている姿にはただ敬服するしかないし、ご自身の苦悩の大きさが背後にあることも一定程度理解できるのだけど、それでもなお、全身全霊で打ち込めるものが見つけられて、そこに打ち込めていることには、素直に羨ましいと感じる。お叱りを受けるのを承知でいえば、こちらは仕事は仕事でしかないと考えていて、全身全霊で仕事に打ち込むというところからは一線も二線も画する生き方をしているので*3。