最後の人声天語 (文春新書 1297) /坪内 祐三 (著)

自宅近所の本屋で見つけて購入した。

 

坪内さんの急逝から1年たったところで、最後まで持たれていた連載をまとめたもの。この連載をあまりきちんと読んだことはないのだけれど、中野翠さんの連載エッセイ(こちらについては、一応単行本になった都度目を通すようにはしているけど)と同様に、好みによる偏りはあっても*1、時代の風俗をきちんと見ているという気がする。この連載では、その中野さんがイラストを描いている*2のも良い。

 

本書でまず印象的だったのは、「死」についての言及が多いこと。言及すべき訃報が多かったということの現れなのだろう*3が、それとともに、大正9,10年生まれで太平洋戦争を生き延びた世代が90歳前後まで生き延びたのに対し、昭和一桁には80歳の壁、次の昭和二桁世代には75歳の壁、団塊世代には70歳の壁、と来て、自身の世代には60歳の壁、という指摘は、ご当人が当時60歳でその2年後に亡くなるのを考えると、何かあったのかと勘繰りたくなる。

 

もう一つ印象的なのは、身体性というか、氏が自分の身体で感じたことを、そう感じた文脈と共に重視していること。スマホ依存により、身体で感じる感覚が失われること(スマホだよりで道を歩くと場所を覚えないというのは一つの典型か)、それと、スマホを通じて「1984」以上の管理がなされていることへの警戒感を指摘しているのは、僕自身もそういうものを大事だと思っているので共感するところが多い。同様に、大きすぎない本屋で新刊をウオッチする楽しみとか、バブル崩壊が平成7年というあたりもこちらもそういう感覚なので、共感する次第。

 

読み終わって改めて思ったのは、一回り年上の著者は、僕にとっては、そういう人になりたいと思っていた人、というところなので、どうしても魅かれるのだろうということ。興味のある書物や映画、スポーツ、芸能を味読して、考えたこと・感じたことを文章にして、生計を立てる、そういうものに長く憧れていた。残念ながらそういう能力はなかったし、そういう能力を身に着ける方法も分からないまま、巡り巡って今のような状況にいるのだけど、確かに氏のような評論家に憧れていたのは事実*4。そういう次第で、遅まきながらではあるが、可能な範囲で氏の文章を読んでいこうと思う。

 

*1:中野さんよりは偏屈な印象は禁じ得ないが…

*2:変名を使っていたことはあっても、中野さんの連載の読者であれば、気づけるはず

*3:2019年を「死者のあたり年」と評しているし。

*4:それと、働き盛りのときに、長患いもせずに急逝するというのも、憧れるところだが、これはさすがにどうしようもないと思われる