近頃のぶつくさ

なんとなくメモ。自分が呟いたことの抜粋等だけど。

  • ツイッターの使い方は人それぞれだろう。ツイッターで誰の呟きを見るかについても個々人ごとに色々な考え方がありうるだろう。自分が好きでない呟きの存在を極力許容するのが大事なのではという気がする。犯罪を助長するようなもの等を別にすれば、大概の呟きは嫌なら見なければいいだけの話。こちらはわかる人にはわかる程度のわかりにくさで、不満を述べ立てることはよくしているが(でないとやってられないと思うことが多いので)、読み手に不安を与えるようなことは書いていないはず。 
  • 大義名分がご立派な物言いほど、その正当性・正統性には批判的である必要がある気がする。現下の状況下では特に。
  • 先行きに明るいものが見えないときには、寧ろ早期に片付く可能性のあるコロナにかかって死んだ方がいいのではないかという気もする。シンドイとしてもすぐ終わるかもしれないので。
  • それなりに言うことに従っているという認識でいる相手に対して、一切何も従っていないかのような口調でいう医療関係者の方々の言辞に接すると、流石にちょっと何だかなあと思う。時としてかの方面の方の物言いは、きわめて傲慢にも見える。結論として死に至るのであれば、病気によるものであろうと、経済的な理由によるものであろうと、死ぬ側にとっては大差ないと思うのだが、前者しか助けられない割に、後者に対してあまりにも無頓着な印象を受ける。
  • 政策を議論するとしても、議論の前提となる事実を正確に記録しなかったり、歪曲するような相手とは議論自体無駄になりかねないように思う。
  • 自分の見えている世界以外が存在する可能性をどこまで考えられるか、が重要というか、その人の能力のある程度の部分を決めることになるのではなかろうか、と勝手に思う。
  • 人それぞれに色々な状況・事情があって、今に至るんだから、他人のやることに文句をいう時には相当慎重であるべきだなと感じる(だからといって批判すべき点への批判を止めるのは適切ではないが)。表現の仕方への配慮が重要ということになるのだろう。
  • 結局ことここに至ると、専門家の物言いを読んでも、結局一般庶民にできることは変わらないので、それであれば、その種のニュースから距離を置いた方が精神衛生上無難ではないかという気がしている(なので、そうするようにしている)。
  • この時期に世の中の役に立つことのできる専門性があると言えるようになりたいが、道は遠い。とはいえ、精進しないとそうならないので、頑張らないと。