ふるうのは何か

何のことやら。例によって脊髄反射的に呟いたことを基にメモ。こちらのエントリの続き、みたいな話。

 

大要、契約審査について、どのみち契約書の文言に立ち戻らずに当事者間の力関係で解決するのだから、審査を一生懸命する必要はないのではないか、というような呟きに接した*1

 

そういうことを思う気持ちは理解できなくはない。しかしながら、ちょっと注意が必要なのではないかという気もする。確かに、何か問題が生じても契約書の文言に立ち戻ることをせずに、当事者間で力関係を前提にした協議(その内実がどういうものであれ)で片が付くなら、契約書の内容を議論したり、相手とやり取りするのに時間を無駄に使うよりも、締結してビジネスを早く前に進めるべきではないか、そう考えても理解不能ではない。

 

しかしながら、こうした議論の前提となっている当事者間の関係が未来永劫続くと言えるのだろうか。両者間の関係が壊れたとき、例えば、メーカーが製品を納入する契約を考えると自社製品で大きな品質不良が生じて、「出入り禁止」になったうえに、相手から損害賠償請求訴訟まで提起されるようなケースを考えると、関係が壊れてしまった以上、相手もこちらに気を遣うことなく、契約書の文言通りに損害賠償請求をしてくることもあり得るだろう。そういう状況に至ってしまえば、自社の身を守るのは契約書の文言だけしかないかもしれない。

 

そういうことまで考えると、現状見えている関係性を前提に考えてよいのかについては、慎重な検討が必要というべきだろうと考える。両者の関係が構造的に固定化されていて、当事者の行為ではその構造が覆られないといえるときなどは、前提にした議論に「乗る」余地はあるかもしれないが、それ以外のところでは、もっと慎重であるべきではないのかという気がする。判断が間違っていた時の最悪のシナリオを考えて、その影響度が制御可能かどうか、ということは、最低限考えないといけないのではないかという気がする。

 

効率化のための契約審査の省略・簡略化は、ある種の鉈をふるうところがあるように思うが、ややもすると、「割り切る」ための鉈をふるっている事実に酔う危険もあるように思えて、慎重であるべきではないかと感じている。契約書が扱うのは必然的に複雑な話なので、単純な割り切りがどこまで通用するかは、慎重な考慮が必要だろうし、ある程度保守的に考えるべきではないのか。鉈のふるいかたを法務部門が誤った時には社内的に責められるだけになりかねない。自分がそういう立場にあるから余計にそう思うのだろうが。

 

*1:元の呟きを批難する意図ではないのでリンクなどはしないでおく