TPOとかそういう話について

呟いたことを基に益体もないメモ。

 

修習でスーツを着るという話について、なぜ強制されるのかわからないという呟きに接した。ご当人は着用されるようだが、それが強制される理由がわからないということのようである。そういう疑問が出るのは想像に難くないが、反面で、どうかとも思うので、以下個人的に思うところにつき、若干のメモをしてみる。

 

法的トラブルというのは、いずれにしてもある種の「私事」であることが大半で*1、関係のない第三者の目にさらされることは、極力避けたいというのが、大前提にあろう。裁判で裁判所や、刑事であれば検察という第三者が絡んだり、裁判の公開がされるのは、法の定めに基づくものではあるが、判断の適正を確保するうえで不可避ということから実質的にも正当化されるのだろう。

 

そう思うと、修習生というのは、法曹ではなく、その卵でしかないのだから、手続とかを見せる必要のない(むしろ見せないほうが情報漏洩リスク防止の観点からは望ましい)存在であろう。そういう存在に手続きとかを将来の育成のために特別に見せるというのが修習の立ち位置になろう。裁判員裁判の評議を傍聴できることの意味とかを考えれば、そのあたりは比較的理解しやすいのではないか。そういう、ある種当事者の「お目こぼし」で、その場にいる存在なので、手続きの当事者に対しての敬意をはた目から見てわかる服装で示してほしいということが、一定の服装を着用することを求める実質的な根拠に含まれると考える*2。この点は修習を実施することそのものに起因する話なので、修習生にカネを払う・払わないとは関係ないだろう。尤も、金がなければ服も買えないという身もふたもない話はあるかもしれないが。


別の見方をすれば、司法試験に受かってイキってTPOとかわからんという餓鬼(この表現でよかろう)を「使える」ように育成するためには見せておくべきという判断が先にあって、関係者への理解を得るための調整としてその種の話が出ることになる。その程度のことも理解できない・理解しようとしないのであれば、そもそもこの界隈で働く適性に疑義がないか(それ以前に法曹以外の仕事それ自体が厳しいのではないか?)とも感じるところ。


法曹の仕事の一定以上の割合は、生じるリスクに対してどう対応するかを考えることであると思うが、修習それ自体に生じるリスクへの対応であることが理解できない、それを理解しようとしない段階で、適性なしと判断してもおかしくない気がする。

 

*1:公益性のある訴訟もあるが、むしろ例外であろう。

*2:この考え方からすれば、集合修習とかでは自由な服装で良いのではないかという議論になるかもしれないが、個人的にはそれはあり得る発想と考える。