距離を踏まえて

呟いたことを基にメモ。

 

対外的な契約書であれ、自社内の社内規程であれ、その記載内容に従って、誰か(自分も含む)が動くが想定されている以上、その動く当人たちにとって、「自分事」になっていないことは、それ自体がリスク要因を孕んでいるものと考えるべきだろう*1。他人事だと思って「流して」しまうと、気づくべきリスクを見落として、必要な手当ても適時に出来ないことも想定されるからである。

 

もちろん、リスクがあるだけで、そのリスクが常に発現するとは限らないし、リスクは覚悟のうえで、それを甘受しなければならないことも、時として存在するのも否定しがたい。

 

そういう点をいったん脇に措くとすれば、そういったリスクを可及的に減らすためには、「当事者」となる方々に「自分事」として読んでもらって、疑義や異議を質すことが必要と考える。特に本社部門と「現場」との間に距離(物理的・心理的なもの両面で)があって、その動きが見えづらく、本社側から想像できることに限度がある時は、必須と考える。もちろん、特に対外的な契約書については、そこまでの時間的な余裕がないことも珍しくないし、そうした行為を「現場」に求めても、「現場」にとっての負担が大きいというのも否定しがたい。しかしながら、前記の本社部門の想像力の限界や、更には事実関係のヒアリング時の事実誤認の可能性等を考えれば、そうした過程を省力することは避けたいと考える。一応こちらの関与する範囲では、可能な限り履践を心掛けている*2

 

上記に関して、本社側での書きぶりが不適切な結果として「現場」が振り回されるリスクについてご指摘をいただいたが、前記の限界を考えると、そういうリスクも、前記の「読む」過程で減らすことを考えるしかないと考える。本社側だけで出来ることに限りがある以上、「現場」との距離があるのであれば、距離をの向こうにいる「現場」から見たコメントなどを反映することは必須となるだろう。

 

*1:契約書が行為規範か裁判規範かという議論が以前からあるが、前から書いているように、後者を重視すべきと考える。裁判等とかにならなければ後者としての意義が発現されづらいのに対して、企業にとっては、裁判等に至ることそれ自体のマイナス面もあることを考えると、裁判等の「戦時」に至る手前の「平時」でどう対応するかの方が重要と感じるからである。

*2:もちろん「現場」サイドからこうした動きが批判的に受け止められている可能性が高いことは理解しているつもりであるが...。