例によって呟いたことに基づく手動twilog的メモ。
マスコミの記者の方が、法学者等の専門家にインタビューした内容については、原稿を見せることを、編集権の侵害になるから、拒否するという趣旨の発言がTL上に流れていた*1。以下法律論をする気はないが、感じたことをメモしてみる。
専門家の立場からすれば、自分の発言が記者が好き勝手妄言を垂れ流す材料にしか使われず、自分の発言を歪曲して伝えられる可能性があり、事前にそれを防ぐ手段もないとなれば、協力する気は削がれるだろう。応召義務のようなものがあるわけでも、負担に見合う報酬の支払いもあるわけではないのだから、余計にそうなるだろう。そして、そういう記者側の対応に対しては、専門家としては、デマを流すのに加担する可能性があれば応じない方がいい、専門家倫理としては、そうした危険がある依頼には応じるべきではない、という立ち位置を取ることにつながるように思われる。報道の使命は、専門家にそういう立ち位置を取ることを推奨することにあるのだろうか。
この程度のことがわきまえられない手合いが声高に主張する「報道の自由」とやらを支持することには、ためらいを禁じ得ない。それでも、反対はせず一応は支持はするが。上記のような「自由」の行使は、濫用に見えるし、正当な自由の行使としての支持を得にくくなるようにも見える。そうした傲慢さが、自分たちの足元を掘り崩す可能性に自覚的であるべきと考える。
*1:「検閲」云々という話すら出ていたが、流石にそれは不勉強が過ぎるだろうと思う。公権力がするのが検閲なので。