「職人」と呼ばれても

呟いたことを基に雑駁なメモ。現時点でのこちらの感じるところを述べてみる次第*1

 

「法務職人」という表現に接した。元の呟きの主の言わんとする所は、理解可能に思われるし*2、こちらが理解する限りは、そうした表現をされる中には、こちらも含まれるのだろう。別のところでも特定のニュアンスを含むかの形で同様な表現をしているのにも接したことがある*3


しかしながら、そういう表現をされるようなスタンスの取り方は、時として必要なのではないかと感じる。こと、企業内法務では、社内での他の職種よりも、社内の空気・ムードのようなものに、直接または間接的に異議申し立てをするべき要請が働きやすいところがあると思われる。その際に、自分の拠って立つところが危ういと、その職責を全うしづらいのではないかと思う。自らの専門性に立脚して、言うべきと判断した内容を適時かつ的確に述べる必要がある*4。そうした意味で、社内で共有されている価値観の外の価値観に軸足をおいて立っている状態を確保できることが必要なのではないかと感じる。その意味で、自分の勤務先特有の価値観から切り離されたところに立脚するという意味で「職人」的であることは必要なのではないかと感じるところである。

 

無論、それは、社内で共有されている価値観と敵対することそれ自体を意味するものとは限らない。諸般の状況から可能な限り、それらに寄り添うこととも、必ずしも矛盾するものではない。ある意味で距離感の取り方の問題であり、周囲に流されずに、置くべき距離を確保し、会社全体の利益という観点からなすべきことをするために、立ち位置を確保することが重要であるところにおける、一つの身の処し方という気がしている。

*1:したがって今後変化する可能性があることは付言しておく。ついでにいうと、自分のことについては、いつものように高めの棚の上に置いていることも付言する。

*2:文句を言う趣旨ではないのでリンクなどはしないでおく

*3:そちらの表現を取った当人については、こちらから何かを言うべき対象とは認識しないことにしているので、これまたリンクをしないでおく。

*4:もちろん、その際に、回避可能な摩擦については極力できるよう努力することが時に求められ、その種の努力は、発言内容がより広く受け入れられるためにも必要な行為があることは言を俟たない...とはいえ、そういうほど簡単な行為とは限らないのもまた事実だし、これがどこまでできているかはこちらとしても心もとないものと感じている。