本日のぶつくさ(2022/11/24)

呟いたことを基にメモ。

 

  • 味方を広げないといけないはずの局面に見えるところで、味方でない相手に対して敵対的に受け取られかねないような言説・言い方をしていると、傍から見れば冷静さを欠いているように見られても仕方ないのではなかろうか。それでは味方が減ることがあっても増えることはないように思われる。そういう調子だと、そもそも対話も何も足り立たない相手と認識されて、対話ができなくなって、遠巻きに見られるだけにもなって、そもそも主張するところに取り合ってもらえなくなって、味方も広げようもなくなるのではなかろうか。
  • 紛争の当事者になると、当該紛争に関連する事象には、認知に歪みが生じる。それは当事者が法曹有資格者であっても避けられない。その歪みを直視できずに、歪みに基づく言説を繰り返していると、紛争に関連しない事柄についての言説についても、歪みに基づくものとして、信用されなくなる可能性もあるのではないか。
  • 某蹴球の試合での結果について、一晩明けてもなお、ニュースで取り沙汰されるのは、流石に何かが違うのではないかという思いを禁じ得ない。現状、他に報道することがないような泰平な世の中からは程遠いのだから。他に報道すべきことの存在を隠蔽する材料となり得る時点で、スポーツ全般が有害という見方もあり得るのではなかろうか*1。もちろん、そういう報道機関の在り方の方により大きな問題があるのは間違いないのだが。

*1:先般の五輪以来そう感じる事態が増えたような気がする。