相談に応じる意味

何のことやら。呟いたことを基にメモしてみる。

 

企業内法務*1だと、社内各所から諸々の相談が持ち込まれることが多い。内容的に法律とは関係ない、単なる愚痴が混じることも良くある。しかしながら、それでも聴くだけは聴くということが多いのではなかろうか(僕はそういうことが多いような気がする。)。

 

もちろん、法務に関係にない内容と、関係のある場所と区別して後者ののみの相談である方が望ましいことは言うまでもない。しかしながら、法務に相談に来る側が、法律問題か否かを正確に認識できているとは限らず、そして、峻別できるようになることは求め得ないだろうし、期待すること自体に無理があろう。大概の人間には、そういう峻別が出来るようになる以前にすることが山のようにある。できもしないことを期待して失望したりしても意味があるとは思いがたい。さらにいえば、認識している問題意識を的確に言語化してこちらに呈示できるかどうかも保証の限りではない。諸々の話をしながら、聴いてみることで、実は隠されていた法務上の問題にたどり着くこともあり得ない話ではないだろう。

 

仮に、色々訊いてみた結果としてそういう法務問題にたどり着くことがなく、企業内法務の担当者から見れば、無関係と思われる相談であったも、少なくとも話を聴いてみることで、相手との信頼関係を構築して、法務にとって重要な、危険に関する情報が入りやすくする、または、こちらから相手に対するお願いをしやすくなるという点で、無関係と思われる相談を聴くことにも一定の意味があろう。もっとも、逐一応じていると時間もメンタルも消耗するのが難しいのだが*2


デジタル流行りの世の中で、無用な話とデジタルに割り切る方が流行りに即しているのかもしれない。しかしながら、対人での意思疎通は、そういう形でのアナログでウエットな要素を排除しきれないように思われるから、程度問題はあるとしても*3、割り切ることを貫徹するのは難しいのではないか。そういう対応を軽んじるのは、恐らく、少なくとも企業内法務の担当者としては、大事な何かが欠落している気がする。

*1:機能としてのそれであり、実際の名称は問わない

*2:個人的な経験では、初職で、休日出勤している際に、ある案件で一緒に仕事をしている技術屋さんの愚痴を2時間聞かされたことがあった。流石に、心が折れて、結局その日は何もできずに、ただ疲弊しただけで帰宅したことが思い出される。

*3:相手が味を占めて、愚痴を言いに来るようになる可能性もあるのが難しい。