手動twilogのようなメモ。
- 他人に厳しく接するだけでは、厳しく接された側に傷が残るだけで、意味がどこまであるのかわからないことが多いような気がする。
- キャリア迷子という意味ではずっと迷子な気がする。大卒の1994年から後。道なき道を歩いた、という言い方も出来そうな気がするが、こちらは主体性をもって歩いたというよりも、流されただけという気がする。そういうこともあってキャリア系の話は気になるのだろう。
- いくつかの前提をおかないと妥当しないはずの話を、前提抜きに話してないか、という疑惑を抱くに足る言説に接することがある。そういうことを自分がしていないかについて、気を付けないといけない。
- あの頃は良かった、を超えられているかというと、超えられていない気もするが、良かったと思える過去があるだけまし、という気もしている。
- 発信力のある人間がいい加減なことをいうと有害度合が高いと思うので、こちらの観測の範囲でいかがなことかと思うことを言う某方面については、カウンターとなるような呟きなどをすることがある(というか、可能な限りそうするようにしている)。
- 安易に他者を排除することを容認するかのごとき言辞は弄さないほうが良いのではないかと感じる。
- 人の生き時、死に時というのは個別具体的な状況に応じて存在する、というのが50代としての実感。以前サイバラさんが書いていたと思うが、亡くなられた方については、その経緯の如何によらず、誰であっても「お疲れ様でした」というのが適切なんだろうと思う。