一九七二 「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」 (文春学藝ライブラリー) / 坪内 祐三 (著)

ちょっとずつ読み進めていたが、一通り目を通したところで感想をメモ。読み手を選ぶ気がしたが、個人的には面白かった。

 

1972年という一年の風俗文化を新聞雑誌等記事等の資料(それとご本人の記憶(その詳細さには、いつもながらに驚かされる))に基づいて描いた評論、ということになるのだろう。当時書かれた資料を丹念に引いているところはいつもながらに感服する。

 

何故この一年なのか、というと、「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」が交差する一年だから、ということなのだろう。こちらが読んでいてそれぞれに思い当たった点をとりあえず挙げてみる。

「はじまりのおわり」としては、

  • 全国が画一化された高度消費社会(エンタメ分野でその一翼を担う「ぴあ」の隆盛が描かれている。)
  • 音楽の商業化(音楽フェスとかの勃興とかが描かれている)
  • 田中角栄日本改造計画がバブルへの道を開いたものとして書かれている

「おわりのはじまり」としては、

というあたりだろうか。確かにこれらの点で、「潮目」の変わり目の一年だったということは納得できた。

 

また、著者は、本書冒頭で、1972年以前生まれとは歴史認識を共有できるが、その下との間では断絶があり、本書ではその断絶について下の世代との間で対話を試みたい、としている。著者から1周り下の1970年、戌年(本書の担当編集者も同じ歳だったらしい)の僕は、著者と歴史認識をどこまで共有できているのか、正直なところ、自信はない。また、僕の年代よりも下の方々にとって、本書で、著者が示した歴史認識を理解できるのか、というと、これも正直よく分からない気がした。

 

ともあれ、そういう話は別にしても、上記の意味での変わり目の一年の風俗史というだけでも本書は十分読みごたえがあると思ったし、その意味ではお勧めできると感じた。

 

最後に個人的に印象に残った記載をいくつかメモしてみる。

  • はっぴいえんど頭脳警察が対比的に語られている点。はっぴいえんどは、達郎さん、大滝さん経由である程度聴いたことはあるけれど、頭脳警察については、そういうバンドがあるという以上の認識はなかったのだけど、日本語のロックということをきちんと考えていたバンドというのは初めて知ったし、この両者が同時代のバンドとして対比的に理解されていたのには驚いた。
  • 矢沢永吉がキャロルでデビューしたときの素朴さと彼らがビジュアル面でモデルにしたのが、ハンブルグでの下積み時代のBeatlesだったという点。Beatlesがかの地ではあの格好だったのは知っていたが、それとこれとが結びついていなかった。矢沢氏の音楽に対する素朴な姿勢も印象的だった。
  • 渋谷の大盛堂の地下のミリタリーショップで売っているその他のものについての記載(詳細は略す)。大盛堂はあまり行かなかったが、地下のあのあたりは、よくわからなくて(ミリタリー系に興味がなかったからでもあるが)近づかなかったのだが、そういうことになっていたのか、と驚いた。