それは悪いことばかりではないのではなかろうか

なんとなくメモ。

 

生まれ育った地域が近所だったこともあり、エッセイを折に触れて読んでいた某氏(敢えて名前は書かない)の訃報に接した。60代初めというのは今どきでは若い方、ということなのだろう。

 

馬齢とはいえ、流石に50代が見えてくると、同期同世代の訃報にも何度も接しているし、葬儀だの墓参だのにも出かけもする。そうやってみると、若くて亡くなるというのは本人にとっては、もちろん無念もあるだろうけれど、他方で、故人を偲んでくれる人がいるというのは、そういう人が誰もいなくなる状況よりは良いところもあるのではないかという気がしないでもない。以前、小林信彦氏がエッセイの中で、氏よりもはるかに年長の90代近辺の方が、友人は全部あの世に逝ってしまった、というようなことを述べていたことを書いていたのを思い出す。友人知己すべての「おくりびと」になるというのは、それはそれで辛いのではないかという気もする。

 

それと、最近の諸々を見ると、この後、良いことがあるのだろうか、というところで疑問を抱くようなことが多いように思う。もちろん、そういうのを防ぐべくできることはすべきだろうが、所詮は蟷螂の斧という感も禁じ得ない。坂を転がり落ちるように、諸々のことが起きるような気がするけど、そういう、醜悪な事態に晒されて、直接に不愉快な思いをしないで済むというのも、それはそれで、良い面もあるのではないか、という気もしないではない。そういうことを考えつつ、訃報に接すると、思わず「天の配剤」という言葉が脳裏をよぎったりもする。まあ、まずは故人の冥福を祈るしかないとはいえ…。

 

僕自身が何かをする気はないのだけど、前からぼんやりと感じていたことなのでメモしておく。