最近のぶつくさ(2022/1/17)

手動twilogめいた何か。

  • 阪神淡路から27年。亡くなられた方のご冥福を祈る。こちらも一応被災したのだが、個人的には何だか遠い昔という感じがする。
  • 古文漢文を人生で一切役立たない教科という発言は、発言者の知性に疑いを抱かれても文句は言えないのではないかと思う。
  • 南の島での火山の噴火。かつての「平成の米騒動」のときのような食糧不足になるのではないか。あの時点と比較して、はるかにこの国が貧しくなっていると感じるから、あの時のように札束で何とかするという手が使えず洒落にならない事態になってしまうのではなかろうかと懸念する。
  • 30代以降に変な同調圧力がなくなったという呟きに接したが、個人的な経験からはやや疑問。そういうものからの距離の取り方は身に付くと思うのと、自分に何ができないかは理解し易くなるとは思う。そしてそこから、諸々に対する割り切りというか諦めが多くなるように感じられ、結果的に軛から解放されるかのように感じることはあるかもしれない。
  • ツイッターとかは使い方次第では自分を客観視することに資するのではないかと思うが、そうした使い方が快適かどうかは別という気もする。
  • CD屋とか本屋の品ぞろえが寂しくなって、催事場としての様相を呈する等してくるのは寂しいものを感じる。そういう店については、微力ではあっても、できるだけ買い物をして支えていくのが重要ということなのだろう。
  • 食べ物の味については純粋に主観の問題と認識しているから、ネット上で自分がとやかく言うのは、相応しくないのではないかと感じている。勿論食べ物屋について信頼できると感じるようなコメントをされている方もおられるのも事実ではあるが。
  • 現政権を見ると、実績から推測される能力が低いくせに、能力があるかのごとき振る舞いをしているので、納得できるはずもない。自身の無能と直面できないのを信頼できるほどお人好しになる気はない。