図書館で借りて、一通り拝読したので感想をメモ。坪内さんに関心のある人であれば、必読の一冊。
坪内さんの「最後の」妻の佐久間さんが*1、坪内さんの早世後に、氏について書いたもの。
冒頭に、氏が亡くなられた日についての記録がある。書店で本書を立ち読みしたときには、ここの記載が「重く」感じられたために、手元に置くのを躊躇ってしまった。結果的に、本書を図書館で借りて読むに至った。
私はこの人を死なせてしまった。
この一節が特に重く感じたのだった。後ろの方で出てくるように、ご本人の飲酒の量もあって*2、あまり意識はされていなかったものの、徐々に体調は悪化していたようだったし、ご本人が病的なぐらいに医者嫌いだったことも考えると、ある意味「寿命」というべきではないか、著者が責任を負うべきことではない、そういう自責の念は故人も望んでないのではないか、と勝手に感じた*3。
こちらは、今更ながら、故人の著書を徐々に読んでいるのだが、故人は、色々な意味で、「異能」の人、という気がしている。その「異能」に日常的に付き合う著者は、色々と大変なところがあったものと思われるし、その一端は本書にも様々な形で表れている。もちろん、その恩恵に与ることも色々とあったにしても。
愛されるだけでなく憎まれることもあり、途中で去ってしまったひともいるけど、そうした関係を含めて、彼とつきあう大変さを少しづつ分担してくれるひとが大勢いてくれたおかげで、かろうじて私は最後までもちこたえられた。通夜と葬儀の日に彼の死を悼んでくださる長い列を見ながら、そう思った。
怒りっぽくて優しく、強情で気弱で、面倒だけど面白い、一緒にいるとたいくつすることがなかった坪内祐三
こうした記載等にもそのあたりが表れていると感じた。
個人的には、前にもエントリに書いたけど、故人には、同郷?の一回り上の物知りな先輩という勝手なイメージがあったが、予想通りというか予想を超える(特に晩年は)気難しさのようだったので、実際に謦咳に接する機会がなかったのは、ある意味幸せなことだったのかもしれない。それで故人のことを嫌いになったのでは勿体ないので。
個人的には、僕自身が50を過ぎたからかもしれないが、故人は、こうやって惜しまれるうちに、現役のまま早世したというのは、ある意味で幸せな生涯だったのではなかろうかと感じる。氏の早世後に起きた醜悪な諸々に直に接しないで済んだことや、今後起きるかもしれないさらに醜悪なことを考えると。もちろん、そういうものに対する氏の「怒り」の表現についても、どういう表現を取られるか、というところには興味があるのも確かなのだが。
最後に本書についての著者及びその周辺の方々による記事を2つご紹介しておく。