抗うことの難しさ

例によって便乗系で恐縮だけど、既に一部呟いたことではあるが、メモ。

毎度お世話になっている戦士さんのこちらのエントリ

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

と、そこで言及されている報告書を読んでの感想*1

 

 

僕も戦士さんほどではないにしても、「日本企業の総務系の人々、特に地方の隅々まで根っこを張っている会社の総務系の人々」 の一員だったこともあり*2、本件で問題となっているような種類の方のお話を見聞きすることもあった。それもあってか、戦士さんのエントリでのコメントには納得するばかり。

 

経緯はさておき、いったんこの種の方々への対応のあり様が、社内で固定化し、それがある種空気のように所与のものとなってしまうと、それに抗うのはそう簡単なものではない。その辺の難しさをある意味で示しているともいえるのが、会社法判例百選にも載っている蛇の目ミシン事件。こちらの事件のことも脳裏をよぎった。

 

その種の方への対応方法についての一定の「規範」が、「空気」のように所与のものとなってしまうと、それを言語化することも容易ではないし、それに抗うことも容易ではない。それとうまく「共存」できると出世する、または、その逆の事例が、出回るという形での同調圧力が作用することもあろう。時の変化を経て、それらの事例が、検証不能な「神話」化してしまうと、余計に抗いにくさが増すこともあろう。

 

また、そういう話は、好き好んで対応しようという人がそうそういるとは思えないから、内部的にも、特殊問題化して、一部の「専門家」のみが関与する形になり、「専門家」は「専門家」として出世したりするから、ある意味での相互依存みたいな話が生じることもあろう。「専門家」が結果的に「神話」の維持に寄与する結果になることも出てくるかもしれない。そうなると、余計に、一担当者レベルでは抗うのが難しくなる...そういう感じになることもあるだろうし、それは別に特定地域だけの話とは思われない*3

 

こうした「空気感」への理解を示すことなく、「外野」から当事者を一方的に断罪する形で批判しても*4、「空気感」の中で日々苦悩する「中の人」の理解を得られずに、反発を招いて、寧ろ「空気感」が「必要悪」として残ることになりかねないように思う。その意味で、「空気感」を踏まえない批判は害悪にもなり得る気がする。本気でこの手の問題に取り組もうとするのであれば、このあたりの間合いを間違えないことが必要だろうと思う*5

*1:報告書自体にも、そもそもまとめられてから今回公になるまでの間の時差は何だったのかとか、元請業者からの発注には問題ないとしているものの、発注者がそういう調子なのを元請業者が「忖度」しないわけないのではないか、とか、色々気になるところはあるのだが…

*2:キラキラしている片仮名方面の企業では想像しづらいだろうし、だからこそそういう視点から断罪されても正直シンドイとしか感じない。

*3:おそらく原発のあるところでは、程度の大小はあっても、どこでも同種の事態が生じている可能性はあると思って間違えないのではないだろうか

*4:報告書末尾の小林弁護士の「所感」ですら、そのように受け取れらる危険はあるのではなかろうか

*5:ある種一番の「被害者」である「中の人」に対する公的・私的双方の側面でのリニエンシーというか、引き返す黄金の橋のようなものがいるのではないかと感じるところ