批判の仕方について

例によって感じたことを備忘のために記録。面倒を避けるために抽象度を上げるので、わかりにくくなるかも*1

 

伝統的に使われているものに対して、電網系の技術によって置き換えることを唱道する方々が批判をされている。政権が置き換えに親和的な立ち位置のわりに、担当大臣にそれと逆の立ち位置の人を据えたことに端を発している模様。

 

とはいえ、この種の批判は今に始まった話ではない。電網系の技術の使用を推進することに前向きな方々は*2、技術上の安全性の問題点、偽造の可能性などを問題にしたり、紙主体からの脱却、電網上で万事解決することを唱道しようとしている模様。こういう話は、こちらが記憶している限りで、それなりに前から言われている。

 

それにも拘わらず、置き換えが進んでいないようにも見えるのは、疑問がないではない。そもそも電網系の技術の使用に何か欠陥があるから、ではないのか、という気もするのだが、これまでのところ電網系の技術の使用を推進する方々からそのあたりへの反省をあまり見たことがなかった*3。技術的な確かさや自分たちにとっての便利さだけを声高に主張したところで、それ以外の立場を異にする方々を説得できるとなぜ思えるのが、個人的には理解しづらい気もする。

 

電網系の技術の使用となると、従来のものよりも道具立てが複雑になるし、手順的にも煩雑になりやすい。技術の進歩で手順が毎回変わることもあり得る。結果的に使い方がわかりやすくない。電網系の業界の方々にとっては苦もないことであっても、わかりづらく感じることは多い。導入に要する費用もかかることもある。こちらについては、公的な信用性をもたらすうえでは仕方がないのかもしれないが、経済的に厳しい状況下にある場合には負担しきれないこともありそうな気がする。([追記]昨今の千葉のような状態になればそもそも電気が供給されないので、電網自体使えなくなる。そういう時にどうするのか、ということを想定しないのは流石にまずいだろう。すべて不可抗力で逃げられるならそれにすがるのも一案かもしれないが、それほど世の中が甘いとも思いづらい気が個人的にはする。)

 

また、電網系の技術を唱道される方々が指摘する技術上の安全性の問題点についても、そもそも確率的にその点が問題になることがどれくらいあるのか、とかという気もする。電網系の安全確保のためにがんじがらめに対策を強制されて利便性が低下して不愉快な目にあったこと経験を考えると、その点をどこまで優先すべきなのかについては、眉に唾を付けて考えたくもなる。それに、確かに単体で見て問題があったとしても、その他の仕組み全体で見たときに何らかの方法でその部分が補完されていれば、そもそも問題とするに値しないという場合もあるのではないかという気がする。企業などで使用する場合の決裁とか審査の段階で不正使用が生じないようにする仕組みが働くことで対応可能な場合もあるかもしれないと思わないでもない([追記]訴訟などの文脈では、立証手段の一つにはなるものの、他の手段で補完も可能な場合も多いと思われる)。

そんなこんなを考えると、唱道されるほどの話かというとやや疑問に思う。

 

これらとは別に、伝統的なものの業界の方々は、政治家方面にもきちんと働きかける活動をされており、そのあたりの地道な活動もされている模様。冒頭に書いた人事もその成果なのかもしれない。電網系の方々がそれに匹敵するような働きかけをされたのだろうかというとそこも疑問。電網の外での動きが下手なのではなかろうかという気がしないでもない。

 

これらの点も、立ち位置によって、利害も絡んで、議論の分かれるところだろうけど、少なくとも個人的には、今回の批判は、なんだかいまいちな感じが拭い去れない気がする。

*1:こんな与太話めいたものを書かずにもっとまともなことを書けという説もあるが、そもそもそういう能力がないので(以下略)。また、気分で、某先輩のように片仮名用語の使用を極力避ける形を取ってみた。かの先輩ほどに達意平明とまではいかないにしても

*2:周辺業界の方々が多いようにお見受けするが

*3:呟界では最近見るようになったけど