最近の何だか(2022/8/25)

例によって手動twilog的なメモ。

  • 「とりあえず続ける」というような言説については、続けることで出てくるはずの価値を現時点で認識可能なのか、現時点で認識可能でないならば(自分の能力状況を含め)、ともかく続ける、ということに一定の理があるのも事実だろう。続けるにしても、続けないにしても、明示または黙示で行った選択の理由が説明可能であること(実際にするかどうかはさておき)が重要なのだろう。その場合の説明相手は第一義的には将来の自分になるのだろう。自分の人生に責任を取るのは自分でしかないので*1
  • 企業法務系のスペースが色々出てきて、これはこれで面白いのだが*2、修習生向けにインハウスが語るという企画にも接した*3。まだ企画段階なので、どう転ぶかは分からないが、有資格者と無資格者との関係について、言及すべきではないかという(ように読める)指摘にも接した。この辺りを語り得るためには無資格法務の経験が必要だろうけど、修習生という素人相手に語るには具体例が必要で、そうなると不特定多数が聴いているような場所では、可燃性が高すぎて話せないだろうと思う。少なくとも、僕は怖くて語れない。そもそも不特定多数の前で話せることには限度があることは留意が必要だろう。より正確に言えば、話した側が「伝わった」と感じられるだけの伝え方が出来る範囲には限度があるというべきだろう。一例をあげれば、所詮「渡り鳥」であることが前提で、定着が望みがたいインハウスという人種がそれ以外にどう見えるのか、ということや、インハウスへのそれ以外の方々へのモノの見方がとして、それ以外の方々によりなされるインハウスに関する人事がどう影響するかとか、この辺りはJTCとかでは重要であるものの、おそらく、こうした話題を、こちらが納得する形で、内容で、不特定多数が聴衆となる場で伝えることは不可能と考える*4

*1:この点に関して、韜晦欺瞞に陥らないようにとのご指摘をいただいた。何事にもあらまほしきは先人である、との思いを新たにした。

*2:流石に全部を聴くわけにはいかないのだが...。

*3:一定程度関与することになるようである。こんなのが絡んでよいのか疑義を禁じ得ないが、企業内法務の多様さを実感してもらう趣旨では、なるべく多様な人間の言説に接するべきなので、一定程度正当化可能と思うことにする。

*4:この点については、有名なヴィトゲンシュタインの言が想起されるが、個人的にはかの言辞には必ずしも同意していないので、こういう風にエントリに残したりする。語り得る範囲で語ることを試みることにも意義があるのではないかと感じるので。