最近の何だか(2022/2/16)

例によって例のごとく、自分の備忘のための手動twilog的なメモを箇条書きで。

  • 片仮名系の法務系サービスについて、効果だけを声高に宣伝しているのに接するが、それ自体に違和感がある。効果が言っているほどのものかということも精査すべきところであるが、殊に企業向けであれば、費用対効果も重要であるはずで、その点を訴求しない、または、敢えて口をつぐんでいるように見えるのは、却って勘繰りを生むのではないかという気がする。費用対効果を度外視できるところは多くないだろうから。
  • 外資系企業の某社の日本人の方が日本語で話しているwebinarを聞いていて、話し方や語彙の選び方から、外国語で考えてそれを翻訳して話しているかのような印象で、違和感を覚える。見た目が純日本人な分だけ、その辺のハードルがガイジン然とした見た目の人に比べると高くなるのはやむなしか(内容が出羽守目線に感じられたから余計にそう思うのだが。)。
  • ある程度年次を重ねた実務家の方が若手の方に助言めいたコメントをされているのを見たが、その言い方で理解されるのか、という点で違和感が残った。自己満足やアリバイ作りのためでなく*1、相手の動きを変えようとするのであれば、相手が理解して、動きを変えられる程度に噛み砕いて言わないと無駄骨に終わる確率が上がるように思う。この辺りは馬齢を重ねているだけで管理職をしているこちらとしても反省するべき点である。
  • 契約審査などは、発現する可能性のあるリスクへの対応を発言前の時点で取り扱うことになる。そうである以上、取り扱った事象が発現しなかったという事実を事後的に論難するのは、自分が何をしているのかわかっていないことを表面化させることになるので、注意が必要と感じる。
  • 契約審査における「相場観」というものが話題になることがあるが、その意味内容が不確定だと議論が噛み合わない事態が生じるものと考える。契約審査の場面での定義を敢えて試みるのであれば、特定の契約類型において、条件交渉がどの範囲に入れば、当該条件で契約締結することを法務担当者として承認して良いかと考えられる水準、ということになるのではなかろうか。仮にそう考えると、まずは内容面で、取締法規等に反していないことが確認できていることが前提として、契約締結を許容する範囲の外延たる枠をどのように考えるか、という話なのかもしれない。おそらくは、経営判断原則で保護される範囲におさまっているか否か、みたいな話になると思う。

*1:そういう場合が一定程度存在するのも事実。