プライバシーという権利: 個人情報はなぜ守られるべきか / 宮下 紘 (著)

TL上の数名の信頼できる読み手と考える先生方*1が読まれていたこともあって購入。不勉強なこちらが読む限り、ではあるが、個人情報・プライバシー周りに関心のある向きにとっては必読という気がした。

 

本書は実務書ではない。むしろ実務書を読むうえでの基本的な視点を培う本、というべきと感じた。歴史をさかのぼり、欧米(両者間のプライバシーに対するスタンスの乖離についての解説は、個人的には非常に面白かった。)及び本邦の状況を俯瞰して、個人情報・プライバシーというものについて、一体どういうものか、を考える糧(英語でいうところのfood for thought)を与えてくれるという感じがした。また、そういうものが提供される過程においても、抽象論によるというよりも、個別具体的な事象から説き起こしている点も個人的には印象に残った。

 

個人情報・プライバシー周りの分野は、現状、動きが速いので、どうしても目先の議論への対応に追われがちになるのではないかと思うけれど、そういうものに付き合ううえで、そういうものの背後にあるものを見通す何かを、本書を読むことで得られるのではないかと思う。目先の諸々について、それら振り回されずに冷静に考えられるようになるうえで、本書は有用と考える。

 

他方で、200頁弱の新書版にまとめるためであろうか、前提となる知識については解説がないように思われるので、時として、分かりづらいことがあるかもしれない。その点はネットで調べながら読めばよいと思うので、大きな問題ではないが。

 

願わくは、定期的に本書が更新され、長く読み継がれるものになってもらいたい。

 

最後に、個人的には本書で一番印象深い一説をメモしておく。

ドイツの個人データ保護法の解説書には、"Datensparsamkeit"という言葉が散見されます。ドイツ固有の概念で、この言葉に相当する日本語や英語はありません。あえて訳せば「データの倹約」となります。目的に不可欠なデータのみを収集し、できるだけ必要最小限のデータを利用しなければならない、という意味です。データは石油のように掘れば掘るほど出てくるものと考え、使えるデータはなりふりかまわず使おうとするデータ中毒者に対して鳴らすべき、歴史に裏付けられた警鐘の言葉です。

僕が、片仮名系の企業群(及びその片棒を担いでいると思しき方々)の振る舞いに対して感じている違和感が的確に示されている気がした。

 

*1:その逆もある...