検察審査会: 日本の刑事司法を変えるか / デイビッド・T.ジョンソン (著), 平山 真理 (著), 福来 寛 (著)

一通り目を通したので感想をメモ。刑事司法に関心が少しでもあるのであれば、目を通しておいても損はないのではないかと感じた一冊。

 

検察審査会、について、これまでのところ接点がないし、今後も出来るとは思い難いものの、営業中断前の神保町三省堂*1で見かけて、買ってみたもの。筆頭の著者は、日本の司法制度についての社会学者のようだ。出羽守風な本なのかとも思ったが、著者の一人が日本の刑事法の学者さんなので、そういう調子の本ではないだろうと思ったことも購入の理由になった。

 

検察官の不起訴処分をチェックし、時には、強制起訴の決定までできるという日本独自の機関について、その成立の経緯(敗戦時の現実的・政治的な配慮から生まれたという指摘は大変興味深い。)からこれまでの歴史、アメリカとの比較や、現状、そして、改善提言を述べている。著者らが、検察審査会について、当初は懐疑的な印象だったのが、研究を進めるうちに、見解を改めたというのは、興味深かった。個人的には、福島原発をめぐる件で、強制起訴後も地裁では無罪判決が出たものの、それまでの間に新たな事実が明らかになったことから、本件における検察審査会の役割を積極的に評価している点には、なるほどと思いながら読んだ。

 

積極的に評価できる面があるからと言って、現在の制度が手放しに優れたものであることを意味するものではない。だからこそ、著者らは改善提言をしているわけである。改善提言には、こちらのような文字通りの素人が見ても、なるほどと思うものが含まれている。個人的には、挙げられている提言の中では、検察審査会の意思決定過程の透明性の確保が、最も重要なのではないかと感じた。私人を訴追する権限は、実際に行使され、その結果として私人が訴追されると、社会的なものも含め、多大な影響を当該私人及びその周囲にもたらす以上、過少であれ過大であれ、不適切に行使されてはならないはずで、だからこそ検察の権力行使*2をチェックする検察審査会が存在するということになる。そうである以上、その検察をチェックする側が検察審査会がチェックされる体制になっていないというのは、バランスを欠いていると感じるからである。検察審査会が、強制起訴という形で、検察の訴追権限を、事実上一部行使する形(という表現が適切かどうかはさておき)になることを考えれば、この点は特に重要と考える。

*1:こういう表現をしておく。

*2:実際には不行使しかチェックできないが