最近のぶつくさ(2021/5/11)

例によって呟いたことを基にメモ。

  • 気が付くと明日から司法試験。諸々大変な状況ですが、受験される方が、悔いのないように戦われるよう、ご武運をお祈り申し上げる次第。
  • 一般論として論じることが可能であっても、論じることが適切かどうかはまた別の話だろうし、論じる場合にも議論の射程がどこまでかということは考えておかないと議論を誤導する可能性が生じることもあると感じる。
  • 五輪については、IOCのトップの来日をためらわせる状況下で、大会が実施できるのかというと疑問があると思うのだが。
  • 五輪について、某選手に対しての言説が問題となっているが、通常の選手と異なり、かの催事の宣伝塔的な役割を担った以上は、一定程度非難が向かってもやむを得ないのではないかという気もする(個人的には、必ずしも感心しないが)。
    この点で、個別の選手に開催の可否を決める当事者能力がないから、何かいうのはお門違いではないかという言説にも接するが、開催を強行する側が選手の希望を錦の御旗にするのであれば、錦の御旗に対抗するために、開催に反対の立場からすれば、個々の選手に言説が向かうのも、程度問題はあるとしても、やむを得ないところがあるのではないかと思う。特にワクチンの優先接種のような問題や、現状でも足りていないと思われる医療スタッフを大会に割くなどの事情があると、結果として大会の外ではその分医療体制の水準が下がることが予想されるから余計にそう思う。この点で、休職中の人の活用という言説もあるが、その人たちを本当に活用できるなら(この点も疑わしいが)、現在足りていないところに投入すべきなので、その方法では前記の点は解消しないと考える。
  • 五輪開催について、国際社会に対する信頼関係を理由に開催を主張する言説にも接したが、いずれの結論を取るにしても、言葉による説明が重要と考える。開催をするにしても、現行の本邦の感染状況では、他国の関係者から疑義が出ることは想定可能であり、その問いに真摯に応える必要があると思われるし、反対の結論についても、現状を真摯に説明すれば足りるのではないかと考える。なお、ここでいう説明は、現下の本邦でまかり通っているような空疎な言説でもなければ、問いから逃げるような行為をしていては到底充足できるものでもないと考える。その意味で、現政権(前政権も)では、およそなしうるものとは考えられないのだが。
  • 昨今の状況を見ると政権に下野への恐れがないのはまずいと痛感する。やはり再度下野させる必要があるのではないかと感じる。もちろん現状の野党に能力があるか問われれば否定的に捉えざるを得ないが、能力ある野党を育てられていない側の罪でもあると思うから、無能な野党政権のツケを払うこともやむを得ないと考える。その危険を冒してでも、現状よりはマシだろうというところ。